一昨日、望まないコトが、さも起こったように疑似体験をしてみた。
すると、翌日、甥っ子からの、嬉しい報告がやってきた。
何故、そういう結果になったのか、
どういうしくみがそこにあるのか、
自分に質問した。
ただ、一言。
『循環』
イメージで言えば、
水車があって、その水車の左半分が『陰の世界』、右半分が『陽の世界』
望むコトがあると言うことは、反対側には、望まないコトが存在してる。
望むコトは、私たち人間にとっては、心地よいこと。
望まないコトは、私たち人間にとっては、心地よくないこと。
この世界は、陰陽一対の世界で、どんなにあがいても、もがいても、この法則の上に成り立ってる世界。
どちらがいいも悪いもなく、
どちらが大切かどうかもなく、
等しく存在してる。
心地良い世界なら受け入れるけど、心地悪い世界は受け入れないと言う世界は、
歯車が回らず、せき止められたような状態。
どちらも受け入れた時に、歯車は周り、自分の本来の流れに乗れる。
そんなイメージです。
私が、自分の望まないコトにあえて向き合い、自分の感情や想いを明らかにしたことで、軽くなり、甥っ子が喜んでいる世界を観ることができました。
甥っ子は、兄の息子であり、私と同じ自我を持っていたんだろうと思います。
私は、以前にもこれと同じ経験をしました。
知人と話しをしていて、知人が気づいた自我は、私が持っていた自我と同じだったことがありました。
これらのコトが起きるのは、当然と言えば当然なんでしょう。
私にはまだわかりませんが、
私たちは、元々一つの意識で、そこから分離し、今再び統合しようと向かっているらしいのですから。
この辺のことは、もっと霊性進化しないとわからないゾーンなんだと思いますが、知識としては理解できます。
この世が、陰陽一対の世界であることや、鏡の世界であること等々、このしくみは知ってても知らなくても、この世界にいる限り、使いたくなくても、そういう世界なんですから、どうしようもない。
それを拒否することは、地球が太陽の周りをまわるのを、私一人で止めようとしているようなものです。
ならば、この法則を使いこなせばいいんです。
陰陽一対の世界であろうが、鏡の世界であろうが、攻略していけば、ゲームと同じ、とても楽しい世界に成る。
ただ、この世界は、階段を3段飛びして、早く上に上がりたいと思っても、絶対にさせてくれないしくみになっています。
その時点で、『焦り』と言う、重い周波数を持っていることになり、それを生み出しているのは自我そのものだからです。
ガイドや、ハイヤーマインド、しいては、この宇宙は、私のことなどお見通しなのですから、騙しようがないんです。
人間として生きている私は、何度も同じことを繰り返さないと身につかないというしくみを持っています。
逆に言えば、何度も繰り返せば、身についてしまう。
このしくみを知らないうちに使っていたことで、自我が生まれた。
今度は、このしくみを、わかってて使う。
望むコトが生まれた、その私がいる層には、私が望むコトがない世界です。
その世界から脱出しない限り、私が望むコトがある世界には行けないわけです。
その脱出方法が、望むコトと逆の、望まない世界を観るコト。
不安や恐怖が生まれると言うことは、
逆に言えば、望むコトがあるからです。
望むコトを洗い出しても、不安や恐怖は消えないけれど、不安や恐怖を洗い出せば、自分が望んでいるコトが炙り出される。
まだ、にわかにしかわからないけれど、
これが『循環』 なのか? と・・・
【本日の気づき】
望むコトがある時は、その望みが叶わなかった疑似体験をしてみる。
これ、結構いけるかも