心は、見えないモノ。
だから、答えは、見えないモノの中にある。
誰かの行動や態度を見たり、話したコトに反応してしまうけど、
その見えたモノから、何を感じとったのか。
そこに答えがある。
『脳』のしくみは、みんな同じ。
褒められたり、自分の存在を認められれば、承認欲求が満たされる。
自分が持っていないモノを誰かがもっていれば、うらやましいと思う。
大好きな人がケガをしたら心配するのに、大嫌いな人がケガをすると、ざまぁ~みろと思う。
あの人より、自分ができない評価を受けると、自己嫌悪に陥り、自己否定が始まる。
自分の大切なモノを取られたら、憎らしいと思うし、怒ったりもする。
ふわっふわっの物を触れば、気持ちいいと思うし、トゲトゲを触れば痛いと思う。
興味が在るモノを見たら、ワクワクするし、体験したいと思う。
今までやったことがないことには、不安を感じる。
『脳』は、そんなしくみになっていて、
自分だけが罪悪感を感じてるとか、
自分だけが劣等感を感じてるとか、
そういうことがないように、同じしくみになっている。
何かができる、できない。
何かに興味がある、ないは、その人の今世のシナリオであって、『脳』のしくみは同じ。
人間のDNAは、99.9%共通してて、わずか0.1%の遺伝子の差異が、その人の特徴を表してる。
ゲームをする時、みんなが同じ条件で始めるのと同じ。
この世は鏡だと言われて、
あんな胸くそ悪い相手に自分が反応してるってことは、
私が気づいてないだけで、私もあんな胸くそ悪い人間なの?
そう思ってしまうけど、
姿、形は関係がないんです。
相手が見せてくれる姿、形を脳が見るけれど、どんな捉え方をするかは人によって違う。
こういう姿を見ると、
「何かあったのかな? 落ち込んでいるのかな?」
そんなふうに思ってしまうかもしれないけど、
思っているのは、私で、彼女が何を思っているのかなんて、わからない。
ただ単に、畳の上にアリがいて、「どこに行くのかなぁ」と見ているだけかもしれない。
結局、相手の行動や態度を見て、
相手の話しを聞いて、
どう思ったかは、自分以外にはわからない。
これがこの世のゲームのルール。
相手がどう思ったのかは、自分が創造する世界には関係がない。
自分がどう思ったか。
自分がどんな感情を持ったか。
自分がどんな重い周波数を使ったのか。
そこに意識を向ける。
旦那が、
こんな格好で寝ていて、それに対して腹が立った時、
この世は鏡の世界だから、
「え 私、この格好と同じ格好をしてるの
」
っては、ならない。
まずは、見える部分の何に腹が立っているのかにフォーカスする。
昼間っから寝てることに腹が立つのか
ビールをこぼしていることに腹が立つのか
自分が食べたかったポテチを食べてしまっているから腹が立つのか
これが息子だったり、自分の兄弟だったり、夫の弟だったりと、自分との関係がどんな人かでも、この腹が立つ捉え方が全く違ってくる。
これが、自分の持っている重い周波数の違いを設定する。
言うなれば、俳優と舞台設定をどんなふうに設定したら、
自分の中にある重い周波数を、炙り出せるかってことです。
で、結果的に、自分のその重い周波数を炙り出すには、
夫であり、三枚目で、腹が出ていて、小汚いカッコウをしていて、ビールをこぼし、お菓子を食べ散らかした状態で、それも自分が仕事でトラブルがあって、しこたま怒られて、疲れ果てて帰ってきたタイミングで、この状態でいる。
と言う設定が必要だった。
この設定でないと、今、炙り出す必要のある重い周波数が出てこないからです。
何故、出させるかって?
持ってしまった重い周波数を捨てて、『ゼロ』になるため。です。
意識するのは、姿、形ではなく、それを観た自分自身の感情です。
『悲しい』と言うこの一言の中にも、喜びがあったり、痛みがあったり、辛さがあったりと、
色んな感情が入り混じってます。
自分がどんな感情を捉えているのか、そこにフォーカスしていきます。
自分を内観する時、とても大切なのは、素直になること。
どんな感情を持っていたとしても、それをわざわざ自分を責めるために使う必要などないんです。
ただ、私は知りたかっただけです。
「こういう感情を持っていた」と言う事を。
私たちは、スピリットです。
感じるのは、意識でありエネルギーです。