人間意識バリバリだった頃の私の『幸せ』は、
お金があること。
健康であること。
やりがい(仕事)があること。
人間関係がうまくいっていること。
家族と今まで通りの生活ができること。
だった。
それはまるで、
努力して、苦しくても、辛くても、もがいてもがいて、自分で取りに行くもの。
そんな感じだった。
でも、お金がそれなりにあっても、
健康であっても
仕事があっても
人間関係も特に問題なくても
家族が、今まで通り過ごすことができていても
常に未来への不安は消えなかった。
常に満たされない何かがあった。
何のために人は生きるのだろうかと、
こうやって日常を過ごして、年老いて死んでいく。
そんな為に、この世に生まれたのだろうかと、
答えの出ない質問を、自分自身に問いかけていた。
漠然とした、未来への不安や、満たされない感情を持つのは、人間意識によるもので、
スピリット意識には、その感情(周波数)は、持っていないことに気づいた。
この肉体は、人間仕様ではなく、スピリット仕様に創られていること。
お金は、幻想であり、結果として物質化すること。
やりたいことは、無理やり探さなくても、かってに現れる事。
スピリット意識であれば、人間関係も家族関係も、ただそこに在る事。
わざわざ、『感謝しなければならない』のではなく、この世は、感謝で溢れており、
わざわざ、『自分を大切にしなければならない』のではなく、これほど尊いモノはなく、大切にせずにはおられなくなり
『ポジティブにならなければならない』のではなく、ポジティブを選択すればいいだけのことで、
『自由や幸せは、自分で掴みに行かなければならない』のではなく、もう既にそれらは在る。
私たちは、『幸せに成る』ために生まれてきたのではなく、
この世を『楽しむ』ために生まれてきたんだと、この世のしくみを解読しつつある今、そう思う。
人間意識でいた時の、あの苦しみや悲しみ、辛さの体験は、遠い昔の出来事に思える。