つい最近、池谷裕二(いけたにゆうじ)氏が書かれた『脳には妙なクセがある』と言う本を購入しました。
自分にくっついた観念や信念が自分に制限をかけ、心を重くしている事に気づいて、外す、手放すと言う事を繰り返すうちに、『脳』と私は別物であると、感覚でわかるようになってきました。
看護師である私は、『脳』の解剖学や生理学を学んだことで、『脳』を医学的な視点から見ることはあったけれど、『脳のしくみ』としての、池谷氏が言うような『脳のクセ』と言う、この思考や感情については考えたこともなかったんです。
でも今、ここにきて、意識である私たちが、この世界で人間として生きていく上で、この『脳』にどんなしくみを組み入れたのかを知りたくなったわけです。
妬みや劣等感は、社会的感情と呼ばれるカテゴリーに属するようです。
自分1人しか存在しない場合では生じることはなく、あくまで他人と比較することによって生じる感情だからそうです。
そして、この感情が生まれた時の、脳の活動部位を調べてみると、不安情動や苦痛に関与する場所だったそうです。
他者との比較が「不安」の脳回路を活性化させるのは面白いことだと、池谷氏は言われています。
人は、「信頼できる」や「優しい」などと、他人から好評価が得られると、『脳』の報酬系が活性化されます。
お金をもらったり、人に勝ったときなどに活動する脳部位、つまり、クセになる「快感」を生む場所だそうです。
『脳』から見ても「自分の評判がよい」ことは快感であることは明白で、自分の好みの情報に耳を傾け、逆に、嫌な情報は無意識のうちに排除しようとするのは自然の事だと。
その結果、見たいように認識したり、思いたいように解釈したりして、脳内で自己願望を叶えてゆくと言う、本人にとっては、心地よいプロセスですが、これが落とし穴にもなりかねないと述べられています。
『シャーデンフロイデ』とは、『他人の不幸を喜ぶ感情』の事を言うそうです。
※以下『』抜粋
『人の失敗を喜ぶなどと言う露骨な行為は、世間的には「汚らわしい心」として忌み嫌われます。しかし、高橋博士らのデータは、シャーデンフロイデが紛れもなく脳回路に組み込まれた感情であることを示しています。
どんなに表面をつくろって同情する素振りを見せたところで、他人の不幸を気持ちよく感じてしまう本心は、根源的な感情として脳に備わっているわけです。』
他人の不幸を喜ぶと言う感情を、おもいっきり表現できる人は別として、
大抵人は、こういう感情を表に出してはいけないし、またそう思ってもいけなし、逆に、そう思っている自分がいると気づいてしまうと、自分を責めると言う事をしてしまいます。
そして、そんな私は見たくないし、そんな私を見るのは怖いし、そんな私を認めたくはないと、ここに蓋をしてしまいます。
人間意識でいるなら当然そうなります。
でも、スピリット意識の私は、そこんとこを見て欲しいんです。
だって、その感情を体験するために、わざわざ『脳』に仕込んでおいたのですから。
この見たくない感情を、「私が持ってるなんて!」と、忌み嫌って、外そうと思っても外れないんです。
一時的には、軽くなったような気になりますが、いやいやどっこい。
もぐらたたきのように、一時的に穴の中に押し込めてやっつけたと思っても、また必ず浮上してきます。
何回やっても、同じ結果になります。
ここを突破しないと、『ゼロ』に一歩近づく事はできません。
スピリットである私たちは、体験したかったんです。
体験したとスピリットが認識するためには、その感情と向かい合い、それがどんな感情(周波数)なのかを十分に味わう必要があるんです。
どんなに自分が醜くても、どんなに自分が嫌なヤツでも、そこを体験したいんです。
そのために、『脳』に仕込んだのですから。
安心してください。
み~んな、そういう感情持ってますから。
持っていなかったら、池谷氏の文章を読んでも、意味はわからないはずです。
でも、おそらく私を含め、心の中で「あるある」
そう思ったはずです。
こういう蓋をしたい感情に向き合って、味わい、そしてそう思っていいんだと、自分自身を赦した時、ウソのように外れていきます。
私たちは、スピリット。
体験するために、その周波数を持った。
そう言うことなんです。