自分の意識と向き合う。
私が生まれて生きてきた上で、その感情が生まれたのは、どんな場面だったのか。
奥深くに潜り込んだ、閉じ込めた感情さえも浮かび上がらせる。
この肉体が持った五感を通じて、その情報は脳で合成され、積み重ねられた記憶の中から選択肢を探す。
こうやると、こうなるから、失敗する。
だから、もう二度と、その選択肢は選ばない。
体験とその時に感じた感情とが積み重ねられて、やがて自分の信念や観念が創られる。
その信念や観念が、私の制限となって、我慢と言う言葉に置き換えられる。
その我慢が、この世の鏡に映し出されて、また私は我慢を重ねる。
この脳で合成された映像は、私が選択したモノしか見せないようになってる。
それはまるで、テレビのチャンネルのように、私が見たいモノにチャンネルを合わせるように、脳は、私が見たいモノにフォーカスする。
この世には、無限のチャンネルが存在していて、自分がどのチャンネルを選択するかは自由。
自由なのに、結局選ぶのは、お笑い系だけだったり、料理番組だけだったり、刑事ものの番組だけだったりする。
ただ、それも自由。
確かに、どのチャンネルを選ぼうが自由だけど、まだ見ぬチャンネルがこの世には存在する。
私が小さい頃、テレビは1件に1台なく、近所で数件の家にしかなかった。
それが段々と1件に1台のテレビが購入できるようになり、白黒からカラーになった。
そのうち、1件に何台もテレビを購入できるようになり、リモコンになった。
今では、YouTubeやネットもテレビと繋がる。
そんなふうに、この世は、自分が選択するチャンネルは無限に存在している。
だけど、このチャンネル、自分がいる周波数の番組しか見ることができない。
重い周波数では、チャンネルに制限があり、自分が気にいった番組がなければ、ひたすら見たくもない番組を我慢して見るしかない。
周波数が、軽くなればなるだけ、制限が解除され、無限のチャンネルから、自分の気にいったチャンネルを選択でき、気にいらなければ、別のチャンネルを選択することができる。
見える世界を使って、私はひたすら、周波数を上げる。