主人が、結婚して直ぐの頃に、私に、面白い話しをしてくれた。

 

 

 

独身の頃に、仕事から帰ってきたら、ご飯が炊けているように炊飯器をセットした。

 

ところが、夕方になって、同僚から一緒に夕食を食べないかと誘われて行くことになった。

 

翌朝はパンを食べ、いつものように出勤。

 

遅くなったから、夕食は外食で済ませた。

 

 

 

そんなこんなで、数日が経過した時、思い出してしまった。

 

 

この中には、炊いたご飯が入っているはず。

 

でも、蓋を開けるのが怖い。

 

保温のスイッチだけを切った。

 

 

 

 

日曜日。

 

さすがに、炊飯器をこのままにはしておけない。

 

でも、この蓋を開けるには、勇気がいる。

 

どんな風になっているのか・・・

開けたら臭いのか・・・

開けたら腐っているのか・・・

 

それでも勇気を出して開けてみた。

 

 

炊き立ての白いご飯だったはずの中身は、

 

 

のジュータンが敷き詰められ、蓋を開けた時には、

 

 

 

ほわっと、カビの胞子が、飛んだとさ。ゲロー

 

 

 

 

 

それから、もうひとつ。

 

これも、世にも恐ろしい話し。ドクロ

 

 

 

誰もが、牛乳を買ったら、冷蔵庫に入れますよね。

 

蓋を開けて飲んで、残ったら、再び冷蔵庫に入れますよね。

 

ただね。

 

この再び冷蔵庫に入れて置くと言う、期間が問題なんですよね。

 

 

 

主人が気づいた時には、もう数週間経っていて、でも、怖くて中を捨てれない。

 

そっぉ~と、そのままにして、また数週間。

 

 

 

でも、意を決して捨てる事にした。

 

まぁこれは、ただボトボトに固まったヨーグルトみたいなもんだったようですけどね。てへぺろ

 

 

 

 

 

 

こんなふうに、私たちは、見たくないモノから目を背けようとするし、意識を向けないようにする。

 

 

いわゆる、臭い物には蓋をしたい。

 

 

 

 

でも、スピリット意識は、そうじゃない。

 

いやいや、臭い物が好きだと、そう言う話しではなくて・・・キョロキョロ

 

 

 

 

人間である私たちは、自分にとって、心地の良いモノには喜んで意識を向けます。

 

なぜなら、何も問題解決しなくていいからです。

 

 

楽しい話しをしてくる。

元気でいる人を見る。

私の事を褒めてくれる人と、そばにいる。

 

こういう人に対しては、何のアクションもしなくてもいいし、私の気持ちを明るく元気にさせてくれます。

 

 

でも、

 

暗い話しばかりしてくる。

人の悪口ばかりを言ってくる。

いつも元気がなく、気にかけて欲しがってる。

 

こういう人がいると、心地よくないから、

暗い話しをしてくる人を、明るい話しをする人に変えたいと思う。

人の悪口ばかりを言ってくる人とは、近づきたくないと思う。

いつも元気がない人には、元気になった姿を見せて欲しいから、何かしてあげないといけないのかと、考えなくちゃならなくなる。

 

だから、こう言う人がいると、見たくないし、その人から意識を外したいと思う。

 

職場とか、一時的に関わる人となら、その時関わらずにいたら、何とかしのげるかもしれないけれど、家族の中にいると、もっと気分は重くなる。

 

 

 

だって、私たちは、小さい頃から言われ続けてますから。

 

「笑っている方がいい。」

「明るい人の方がいい。」

「元気でいる人がいい。」

「ネガティブよりポジティブがいい。」

 

でも、これ、人間世界のお話し。

 

 

 

私たちはスピリットです。

 

私たちの世界には、ネガティブもポジティブもありません。

明るい人も暗い人もいませんし、元気な人も元気でない人もいません。

 

 

だから、この地球で、この肉体を持って、この目を使って、この耳を使って、この五感を使って、『脳』がその情報から、どんな感情を導き出すのかを体験したかった。

 

 

 

私は、白い炊き立てのご飯を見て、美味しそうと思い、食べて美味しいと感じると言う体験をしたかった。

 

私は、炊いたご飯を放置しておくと、カビが生えて食べられなくなって、それを捨てて、炊飯器の窯を洗わなければいけない時の感情を感じると言う体験をしたかった。

 

 

 

 

 

それと同じように、元気がない人を見て、何とかしてあげないといけないとか、逆にそう言う人を見ると、うっとぉしいと思うと言う感情を味わう体験をしたかった。

 

励ましてあげようとする自分も、うっとぉしいから、あっちへ行ってよ!と思う自分も、両方体験したかった。

 

 

 

だけど、私は思ってしまう。

 

うっとぉしいなんて思ってはいけない。と。

家族なのに、友達なのに、そんな事を思う私は最低だと。

 

でも、スピリットの私は、そう言う自分を責めると言う体験もしたかった。

 

 

 

 

見たくないモノ、触りたくないモノに、蓋をし続けたとしても、ただ蓋がしてあるだけで、ただ、見て見ぬふりをしているだけで、ただ意識を反らしているだけで、決してそれは無くならない。

 

 

何を怖がっているのか。

何が嫌で見ないようにしているのか。

 

 

 

スピリットである私は、そこを見たいんです。