最初は、それがマインド(思考)だとか、ジャッジしてるだとか、上とつながっていない等と言われても、全くわからなかった。
マインドと、そうでないのと、どう違うのか。
ジャッジしてるって言われても、どう言う事を言うのか。
意識すればするほど、考えてしまってた。
目に見えて、わかるように、理解できるようにして欲しいと思ってた。
外の世界を見て、自分が感じて、それに反応して行動してる。
外の世界があって、内の世界がある。
そう思ってた。
じゃあ、今の私は、何故、マインドとかジャッジとか、それは人間意識で、スピリット意識じゃないとわかるようになったのか?
を、振り返ってみた。
最初は、本を読みあさった。
本の中に書いてあることには、腑に落ちることと、意味がわからないことがあった。
意味がわからない時私は、常に自分に質問をしてた。
これは、どう言う意味なんだろう。
そうすると、次に読み始めた本の中にその答えが書かれていたり、テレビを見ている時に、
そう言うことか
と、答えがわかる。
この経験で、どうも自分に質問すると、何かしらの形で答えを教えてくれると言う事がわかりだし、同時に、そういう本を読んでいたりする。
基本的には、これを繰り返していた。
この頃は、まだ『外す』と言うことには、出会っていない。
本を読み、自分の実生活の体験と照らし合わせながら、自分の感じる感情や感覚を、確認していくようになった。
確認とは、怒りや悲しさ、辛さとか、そういう感情が現れた時、胸の部分がどう感じるかと言う感覚を確認していった。
気持ちがモヤモヤしたまま、その相手にラインを送ると、どんな返事が返ってくるのかとか、この気持ちのモヤモヤは、どういうモヤモヤか。
哀しいモヤモヤか、辛いモヤモヤか・・・みたいに、胸で感じる感覚に意識を向けるようになった。
そのモヤモヤが、過去での出来事で感じた感情と同じだと言う事に気づき、気づくとそのモヤモヤが無くなり、過去の出来事を再度思い出そうとしても、思い出せないことが分かった時、『外す』と言うことがわかった。
『外す』と、心も体も軽くなることがわかって、私を不愉快にさせる人がそれを教えてくれるんだと分かった。
そして、『外す』と言うことの意味が分かりだし、アリが餌をせっせと巣に運ぶように、せっせと外した。
『外す』ことで、マインドやジャッジ、人間意識とスピリット意識がわかるようになった。
ここまでくるのに、8年の月日が流れた。
その結果、地球の重い周波数を持ったままでは、それがマインドかどうかを分かる方法はないと言うことがわかった。
それはまるで、砂糖の中の塩を見つけるような感じ。
砂糖だけを溶かす方法がわかったら、塩があったのがわかったみたいな感じ。
誰もが8年かかるわけじゃないけれど、今日の明日で分かるって言うのは、無いんだろうなと思う。
勉強だって、スポーツだって、何かをより最高のモノに仕上げようと思ったら、この世界ではやはり、一生懸命に、あきらめずに、行動を起こすしかないんだろうなと思う。
行動を起こすと言う意味は、実践してみると言うこと。
テニスのプロになりたいと思っているのに、本を読んだり、動画を見ているだけでは、絶対にプロにはなれないのと同じように、失敗してもまたその失敗を次につなげて、
あぁ、こういう風にラケットにボールを当てると、あそこに飛ぶのかぁ~
みたいに、失敗があるからこそ、うまくいったとわかるように、やってみなきゃわからない。
失敗してる時は、自分がうまくなっていることに気づかない。
だから、焦ったり、他の人の真似をしてみたり、思考錯誤する。
でも、ある日試合をしてみたら、難無く勝ってしまった、自分自身に驚く。
「成長したい!」
そう『脳』に命令すると、成長するための情報を選んで見せてくれる。
でも、
「やっぱり無理」
そう『脳』に命令すると、無理だと思う情報を選んで見せてくれる。
何が正解で、何が不正解かなんて、石橋を叩いて、渡りもしないで壊すのは、思考の仕業。
自分に話しをして、ハートで答えをもらう。
自分と信頼関係を結ぶ、第一歩だと思うよ。