『私が観ている世界には、私ひとりしかいない』

 

「またまたぁ、そんなぁ~、冗談ばっかり言ってぇ~」

 

 

 

だよね~口笛

 

 

隣にいる人に触れるし、話しができるし、一緒にご飯食べてるし。

どういう思考回路で、そんなバカな発想ができるのはてなマーク

 

 

 

だよね~口笛

 

 

 

 

でもね、外していくと、自分は1人だと言うことが感覚でわかるし、1人じゃないと『鏡の法則』が成り立たないってわかってくる。

 

 

 

 

 

 

 

最初は、『鏡の法則』を、自分が気づいたり、都合の良い時だけ意識した。

 

気づくタイミングと言うのは、自分に取って不快なこと、うまくいかないこと、トラブルが起きた時なんかに、「あぁ、何かを見せられているな。」

そう思って、外していた。

 

そうすると、再度その不快な事を思い起こしても、何も思わなくなった。

 

 

都合の良い時だけと言うのは、誰かが私に不快な思いをさせるから、それを止めさせようとして外そうとする。

外せたと思って、私を不快に思わせるその人に会ってみたけど、不快は変わらない。

外せていないことに気づいた。

 

 

 

この違いがわからなかった。

 

何故、外せる時と、外せない時があるのか。

 

何度か繰り返すうちに、わかってきた。

 

 

 

相手の人を、私の都合の良いように変える為に外そうとすると外れないことがわかった。

例えば、私の悪口を言うのを止めさせようとするために、外す。

私に嫌がらせをするのを止めさせるために、外す。

 

 

このことが分かった時、『私が観ている世界には、私しかいないんだ。』とわかった。

 

 

 

 

だけど、まだまだ人間意識が強く、思考優位で、何度も何度も、「この世界には大勢の人がいる状態」になっていた。

 

 

 

それでも、外して外して、『ゼロ』になった自分の世界が、どんな世界なのかを観たくて、自分1人であることに意識を集中させた。

 

 

 

そうすると、確かに私の観ている世界には、私しかいないことが感覚でわかってくるけれど、それ以上に、私の周りにいる全ての人やモノが、私を『ゼロ』に戻すために存在しているのが、ありありとわかってきた。

 

 

 

 

この世界に生まれた全てのスピリットの目的は、『ゼロ』に戻ること。

今世で戻るのか、来世なのか、そのまた次の世なのか、それはわからないけれど、着実に『ゼロ』に向かってる。

それは、私が生まれた瞬間から、『死』に近づいているのと同じ。

 

 

 

 

『ゼロ』に戻るために、全力で協力し合ってる。

 

 

 

この自分が観ている世界に、自分しかいない。

その事に目を背けることはできない。

自分しかいないと言うことは、誰にも頼れない、究極に自分を信じる世界にいることになる。

 

でも、この誰にも頼れないと言うのは、人間意識で考える「頼れない」ではない。

 

スピリット同士が、究極の信頼を持った上で、見守っている。

私と言うスピリットが、このゲームを攻略できると言う、究極の信頼を持った上で、「頼れない」状態にある。

 

 

 

 

 

『外す』ことに行き詰った時、自分の世界には、自分1人だけしかいない状態をイメージすると、『外す』と言うことが、どういうことか、腑に落ちてくる。