『自分に素直になる』とか、『自分にウソをつかない』とか、『自分に我慢をさせている』とか、それが、どういうことなのか、私もわからなかった。

 

いつも、自分のやりたいことを、やりたいようにやっていたし、自分にウソをついた覚えもないし、社会生活を送る上で、ある程度我慢をすることは当たり前で、でも、それは世間に我慢しているのであって、自分に我慢しているなんて思ってもいなかった。

 

 

私自身、誰かに『自分に素直になる』って、どういう事なの?って、質問してわかったわけじゃない。

精神世界に興味を持ちだして、思考錯誤しながら、自分で自分の感情を意識したり、どう言う時に、こういう感覚になるんだろうかとか、どういうふうにすると、私の世界に現れるのか・・・等々、そう言う事を繰り返すうちに、

 

自分に素直になるって、こういうことなのか。

 

って、私なりに気づいたわけです。

 

 

 

 

例えば

自分が働いている職場に、下矢印こういう女性がいたとします。

 

 

この女性を、何人かの人が同時に見たとします。

その時、誰も喋りはしないけど、頭の中で、この女性の事を、自分のものさしで評価するわけです。

 

Aさんは、「うわぁ~、今日も機嫌悪そうショボーン

Bさんは、「相変わらず、人を見下してるわね。えー

Cさんは、「うわぁ~、そのコート、どこのブランド品なんだろう。後で教えてもらおうっと。おねがい

Dさんは、「毎度々、よくもまぁ、そんなにお高い服が買えることキョロキョロ

 

この中で、自分に素直なのは、Cさんだけです。

 

 

 

自分が観ている世界で、この女性は、ただそこに立っているだけです。

 

ただ立っているその女性に対して、いわゆるジャッジをしているのは、他でもない自分なんです。

でも、自分だけがそんな事を思っているとは思っていません。

Aさんは、他の3人も自分と同じように、女性に対して「機嫌が悪そうだと思っている」と思ってしまって、他の3人に「今日、彼女、機嫌悪そうね。」 そう耳打ちしたりするわけです。

 

Cさん以外の2人は、そもそも彼女に、良い評価をしていませんから、そう思ってなくても「そうね」と言ってしまいます。

そして、お昼の休憩中に、彼女の悪口を並べたてたりします。

 

 

では、Aさんは、何故彼女を見て、「機嫌が悪そう」だと思い、Bさんは「見下している」と思い、Dさんは、「高い服が買える」ことに意識を向けたのでしょうか。

 

 

お昼休憩中に、彼女の悪口を並べたてることが悪いとかいいとかではなく、この感情を、この状態のまま持ったままでいると、段々と苛立ちが増したり、彼女の事が気になって仕事に集中できなかったり、彼女が話す一言にどんどん自分の意識が向いていき、最後には、「彼女がいるから私はこの職場を辞めたい。」などと言う事にすらなってしまうのです。

 

 

 

 

彼女は、そこに立っているだけなのに、私が持つ重い地球の周波数、いわゆる記憶とそれにくっついた感情。その体験から導いた、観念や信念やエゴを、炙り出してくれたわけです。

 

 

Dさんが、「高い服が買える」と思った裏には、うらやましいと言う感情があります。

では、何故、うらやましいと思ったのでしょうか。

おそらく、自分も自分が着たい服を買いたいけれど買えない事情があるのでしょう。

それは、お金がないことなのか、お金はあるけれど、夫が買わせてくれないのか、買えるだけのお金はあるけれど、住宅ローンや教育費にほとんどのお金が回ってしまい、自分の思うようにお金が使えないのか。

 

これをずっと探っていくと、大抵は幼い頃の環境での体験に行きつきます。

お金が自由にならないと言う環境や、自分のやりたいことが自由にできないと言う環境です。

いつも、外の世界を観て、うらやましいと思っていた記憶があります。

 

 

 

 

その女性が、「高い服を買える」ことに対して、うらやましいと自分が思っていると気づくこと。

これが、『自分に素直になる』です。

 

 

あぁ、自分は、彼女を見て、いつも高い服が買えて、うらやましいと思ってるんだぁ。

 

(・_・D フムフム そうなのか。

 

じゃあ、なぜ、うらやましいと思ってるんだ?

 

(・_・D フムフム そうなのか。

 

いつも一緒にいた、幼なじみの〇〇ちゃんが、いつも可愛い服を着てて、私もあんな服が着たいと、お母さんに言ったのに、お父さんに怒られるからダメっていつも言われていたっけ。

 

(・_・D フムフム そうなのか。

 

可愛い服を見せびらかす〇〇ちゃんの事が嫌いだったのに、我慢して遊んでた。

お父さんを説得してくれないお母さんが嫌いだった。

女の子は、可愛い服を着たがるんだとわかってくれないお父さんが大嫌いだった。

もっとお父さんの給料が高かったら、こんな思いはしなくて済むのにと思ってた。

 

(・_・D フムフム そうなのか。

 

 

この体験とこの体験にくっついた感情を閉じこめていた。

もう、この記憶にくっついた感情に気づいて、手放してもいいタイミング。

これが、炙り出し。

 

 

 

 

『思考』は、あの頃と同じ体験をしたくないと思っているから、そこから目を背けようとします。

人間意識でいるなら、その『思考』のワナにはまっていてもいいのですが、

 

 

私たちは元々意識です。

意識であるスピリットは、この地球が持つ重い周波数を体験したかった。

体験したいから人間に生まれたのに、「高い服が買えていいわね」 で終わってしまっては、その感情を味わったことにならない。

 

目を背けず、きちんと自分自身と向き合うことで、自分自身の存在価値を認めることになり、自分を信頼することにつながり、自分を認めることができていく。

 

それが、スピリットが成長していくプロセスです。

だのに、成長させてくれないとなると、ズレが生じて、人間意識としては、とても苦しくなってきます。

 

 

 

人間意識は、臭い物には蓋をしようとします。

「恐れ」「不安」などは、特に感じたくない意識です。

でも、それを観たくない、聴きたくないと思っているのは『私』です。

 

その『私』と、向き合い、認め、そう思っていいんだと自分自身に言えた時、その記憶にくっついた感情は、溶けて無くなっていきます。