今日の夜、8時30分ごろに、母から電話が入った。

 

 

 

 

今日は、朝から母のいる実家に行っていました。

 

お仏壇の『お性根抜き』の為です。

 

昨年末に、急に実家が売れ、いよいよ母が私の家に引っ越ししてきます。

それで、実家の仏壇を処分する前に、今日の13時からお坊さんに来ていただき、『性根抜き法要』をして頂きました。

 

 

兄夫婦と、兄の娘夫婦と私と主人が集まりました。

 

法要が終わってから、お仏壇の引き出しの中に入っている物で、自分たちで捨てにくい物や代々の遺影を、お坊さんに托しました。

 

 

今年に入ってから、週に2回は実家に行き、片付けを手伝ったり、使える物はもらってきたり、転居の手続き、火災保険の解約などしています。

 

以前の私なら、『思考全開』で動いていたでしょうから、あれもしなければならない、これもしなければならないと、台風の如く、頭の中は思考の風が吹きまくっていたでしょうけれど、毎日とても穏やかに過ごしています。

 

 

でも母は、あれもしなければならない、これもしなければならない。

これは、捨てようか?でも、使えそうだから、誰かにもらってもらおうか?

 

89歳と言う肉体は、母の思うようには動いてくれず、そんなジレンマの中で毎日々、70年も積もり積もった物を1人で片付けています。

今日行って見ても、ほとんど家の中の物はなくなっていますが、母にとってはまだ片付けていない所があるようです。

 

 

 

 

そんな母から、また夜に電話です。

 

今日、会っているのに、何なんだろうキョロキョロ

 

 

私にとっては、どうでもいいような事の確認の電話と、いい布団があるから、それを私に持って行くように言います。

来週の日曜日の午後から引っ越しで、私は朝から実家に行き、最終の荷造りをするから、その時に一緒に引っ越し屋さんに持ってきてもらったらいいと言うのに、それが気にいらないわけです。

 

思わず、

「今から、持ちに来いって言うの!?プンプン

 

そう、声を荒げて言うと、

 

そんなつもりで言ってるんじゃない。

1人で色々片付けているから、あんたにしか相談できないこと。

まだ、明日も明後日も、色々せなあかんことがあってと言いながら、「ごめん、ごめん」と、謝ってきました。

 

そんな電話をしながら、実は私の顔は、にやけていたんです。

何故なら、炙り出しだと気づいたからです。

 

もちろん最後は、母も穏やかになり、笑いながら電話を切りました。

 

 

 

 

薄々気づいていたことに対し、向かいあう時が来たと思いました。

 

 

 

母がこれから住む部屋は、義母が住んでいた部屋でもあります。

義母は、ちょうど昨年12月22日で七回忌を迎えました。

この日は、主人の誕生日でもありました。

 

義母と私の母の誕生日は、1月25日と生まれ年は違いますが、同じ日なんです。

 

そんな義母と実母は、スピリットレベルでタッグを組んで、私の記憶の炙り出しをしてくれました。

 

 

 

義母とは、嫁いだ最初は良い関係が築けていたのですが、徐々に関係が悪くなり、今の新居に一緒に住む頃には、最悪の状態でした。

義父は義母より早く亡くなり、義父が亡くなってからと言うもの、義母は精神的にも不安定になり、とにかくどんどん口うるさい人になっていきました。

 

もちろん私はそのころ、この世のしくみは当然の如く、鏡の法則の事も知りませんでしたから、悪いのは、この口うるさい、クソババアの方だと思ってました。

 

 

 

新居に一緒に住むと言っても、キッチンやトイレも別で、お風呂のみ共有できる状態になってました。

義母は、夜中にうちの冷蔵庫を開け、残してあったおかずを食べたり、夜中に叫ぶこともありました。主人が対応してくれてましたが、私は恐怖を覚えました。

お風呂にも入ったふりをするだけで、実際には体を洗わず出てくる等もあって、デイサービスに行くようになりました。

 

 

そんな義母が、高熱を出し部屋の中で失禁をしているのを発見し、救急車を呼び病院へ搬送。蜂窩織炎でした。

いわゆる、足に水虫があっても綺麗にしていなかったため、ばい菌が体の中に入ってしまったんです。

入院して、退院する頃には全介助が必要になり、施設に入所し、そこで乳がんを発症し亡くなりました。

 

 

 

 

私は、自分の母とこの義母を重ね合わせていました。

 

慣れ親しんだ実家を出て、そこにいた知人たちとお別れをして、娘の所に来ることになったとしても、昼間は誰もいない。

義母のように寂しいと思うのではないだろうか。

義母のように気がおかしくなってしまうのではないだろうか。

 

そして、私自身、何故義母にもっと優しくしてあげれなかったのか。

私が自分の親を大切に思うように、主人も自分の親を大切に思っていたはずなのに、今、私が私の母にしているだけの事を、義母にしてあげなかったと言う自分を責める気持ち。

 

義母に対する恐怖と、そんなふうにしてしまったのは、自分だったのではないかと言う、自分を責めると言うこの記憶の炙り出し。

 

 

 

ただ単に、この記憶を外せばいい。

そう言いたいところですが、それでは外せないんです。

 

何故なら、その外そうとする私の心の奥には、『母を守りたい』『母の醜い姿を見たくない』と言う意識と、外せば、義母にした私の態度を、『無かったことにできる』と言う意識があるからです。

 

 

『母を守りたい』『母の醜い姿を見たくない』

これは結局、母の為ではなく、私自身がその辛い体験をしたくないと言う意識を映し出しています。

そして、『無かったことにしたい』のは、自分の醜い部分を見たくないと言う意識を映し出しています。

 

 

外すのは、そこです。

 

 

この私の意識に、真っ向から向き合う。

そして、そう思っていた私を認める。

いいんです。

私は、その感情を味わう為に、人間意識でいたのですから。

 

そして、この人間意識=重い周波数を外すために、義母と実母は、スピリットとして私に見せてくれたわけです。

 

 

 

 

あとは、委ねます。

 

 

たとえ、これからどんな炙り出しが起きようと、私はもう真っ向から自分の意識と向き合えます。

 

 

 

さぁ、母ちゃん。

いつでも、いらっしゃい!! 

残りの人生の1秒たりとも、私はあなたから、目を背けませんからチョキ