自分の家族や友人、知人の誰かが、精神的に落ち込むと、何とかしてあげたいと思う。

 

何とかしてあげることで、再びその人が元気になって笑顔を見せてくれることを期待する。

 

 

 

何とかしてあげたいと思って、心の事が書いてある本を読んだり、ネットで検索したりして、その人に、そこに書いてあることを読んであげたり、試してみてはどうかとアドバイスしたりする。

 

 

 

それでもその人が元気にならず、ネガティブな話しばかりをし、どんなにポジティブな考え方をするように説得しても、

 

 「うん、ありがとう。あなただけよ、そんな風に私の事を思ってくれるのは。」

 

そう答えるだけで、一向に変わらない。

 

 

 

 

もう次に会うのが嫌になってきた。

また私を、自分の感情のはけ口にするのかと思うと、ムカムカする。

私があれだけ一生懸命にアドバイスをしているのに、何も実行しようとしないし、何も変わろうとしない。

 

「もう、あなたとは会わない。」

 

そう言いたいのに、彼女をこれ以上傷つけたら、どうなるかわからない。

でも、会いたくない・・・

 

 

 

 

 

こんな風に、誰かに悩みを相談されて、何とかその人がその悩みを解決できないかと、自分なりに一生懸命解決策を考えて、その人にアドバイスをする。

でも、まずそのアドバイスはスルーされる。

 

「あれ、やってみた?」

 

「え? まだやってない。そのうちやってみるぅ」

 

 

こちらはこちらで、

「なによえー せっかくアドバイスしたのにビックリマーク

 

と、いい気分はしない。

 

 

 

 

 

そりゃそうですよ。

答えは、その人の中にしかないのだから。

その人が、腑に落ちない限り、実行することはありません。

 

大抵は、ただ、その話しを聴いて欲しかっただけ。 です。

 

 

 

 

そして、この世は『鏡の世界』

 

「目に見えた」「声が聞こえた」は、『脳が見ている、聞いている世界』

 

私たちは、スピリットと言う『意識』

 

焦点を合わせるのは『意識』の方。

 

『脳』は、ただ見せてくれただけ。

『脳』は、ただ聞かせてくれただけ。

 

 

その情報に反応しているのは、『意識』

 

 

 

『意識』を向けるのは、見えたモノ、聞こえたモノの方ではない。

 

その『脳』が見せてくれた、聞かせてくれたモノに対して、どんな感情、どんな感覚を感じたか。

 

 

 

友人から悩みを相談された内容に感情が反応しているのか?

友人の態度に感情が反応しているのか?

それとも、その友人に悩みをもたらせている相手の存在に感情が反応しているのか?

 

 

その友人の事を本当に思うなら、その友人の事は考えなくていいんです。

その友人が話しを聴いて欲しいと言うなら、ひたすら聴いてあげればいいんです。

「どう思う?」と聞かれたら、「〇〇と、私は思う。」 それだけでいいんです。

「あなたなら、どうする?」と聞かれたら、「私なら、こうする。」 それだけでいいんです。

 

 

その友人のスピリットは、

「あなたが人間意識では気づけない、地球の重い周波数を外しなさいよ。」

と、あなたのスピリット意識に気づかせようとしてくれてる。

 

 

 

見えるモノ、聞こえたコトに意識を向けるのではなく、向けるのは自分の感情、感覚。

そして、気づいた意識に対して、否定する必要も、拒否する必要も一切ない。

 

ただ、ただ、その感情、その感覚を持っていた事を認める。

 

不安だと思ってていいし、自分を嫌っていたことに気づいてもいい。

恐怖を感じていてもいいし、存在価値がないと思っていてもいい。

 

それを感じるために、それを体験するために生まれてきたのだから、素直に感じればいい。

 

 

 

 

でも、『ゼロ』に戻るなら、十分に感じた感情、感覚を、手放してください。

もう、その地球の重い周波数は、必要ありませんので。