臭い物に蓋をする。
見て見ぬふりをする。
聞こえないふりをする。
そうしていた方が、都合のいい世界にいた。
それが当たり前。
それが、人間社会と言うモノ。
ところが、この世界は違う。
そもそも私たちは、体験したかった。
味わいたかった。
好奇心のかたまりだった。
楽しむとは、どんな感情なのか。
憎しみを持つとはどんな感情なのか。
心が痛いとは、どんな事を言うのか。
この世界の愛は、どんな愛なのか。
自分を否定するとは、どういうことか。
自分を信頼するとは、どういうことか。
自分を守るとは、どういうことか。
自分を愛するとは、どういうことか。
それを知りたいと思ったのに、
そんなこと、私は思ってなんかいない。
そんな感情を、私が持つわけない。
自分を嫌いなわけがない。
自分を無視するわけがない。
自分を愛してないわけがない。
え? なんで、そこから目をそらすの?
何で、そこに蓋をするの?
そこを知りたかったんだよね。
地球の重い周波数に気づいて外しているのに、また炙り出し。また、浮上してくる。
何処が違うのか?
自分の持つ感覚に意識を集中してみた。
どうも、中途半端な感情しかみていないと、外したつもり状態で、外れていない。
中途半端な感情とは、その感じた感情に対して直ぐに
あぁ、これって、自己否定ね。
はい、外そう。
って、いい加減な対応をしているって言う態度です。
わかってるつもり。
わかったつもり。
だったんだとわかると
そして、気づく。
うぉっと あっぶねぇ
この、「不安にさせる」「落ち込ませる」「自分はダメだ」等々、思わせるのが思考です。
本当に真剣に自分と向き合う。
そう思っていることを否定せず、認める。
落ち込ませるのは、『脳』のしくみなので、そこに気づく。
自分と向き合うって、どうすればいいか。
私は、自分が第三者、いわゆる誰かの話しを聴いている立場になります。
友達が相談してくるみたいに、自分の心の声に、あいずちをうったり、「それでどう思うの?」とか、自分の正直な気持ちを隠したままにしないように否定しない。
自分の気持ちを話しているのに、否定されたらもう言いたくなくなりますからね。
そんな風に、自分の胸のに、ピッタリ当てはまる感情(感覚)を探っていく。
「思考に喋らせる」っていう感じかな。
喋りたいだけ、喋らせてあげる。
思考がまだ喋りたいのに、途中で話しを聴かないでおくと、もう黙ってしまう。
本当の気持ちを隠してしまう。
私たちスピリットは、素直に感じたいんです。
ただ、『ゼロ』に戻ると決めたので、素直にその感情(感覚)を十分に感じたら、その周波数を外していく。
誤魔化しは一切利かない世界。