どんどん外していくと、外の世界の事に興味がなくなってくる。
無視するとか、そういうことではなく、今、目の前にあることに意識を向けているから、外の世界に意識が向かないと言った方がいいのかな。
以前の私は、お金にも執着があったし・・・あ、今もありますよ。
でも、以前とは違う。
以前は、買い物をして、段々今月のお金が無くなっていくと、不安になり、不安になるのに、買うモノは買う。だから、残高が少なくなり、また不安になる。
で、気づいたんですよ。
今、ここに在るお金に意識を向けてなかったと言うことに。
要するに、「無い」方に意識を向け「在る」方に意識を向けてなかった。
で、何をしたかと言いますとね。
月曜日に財布に1万円を入れて、毎日見るスケジュール帳の月曜日に1万円と書く。
月曜日に、自動販売機でお茶1本買っても、その金額を記入する。
火曜日には、その残高を記入し、同じように使った金額を書き、残高を出す。
するとね、何が起こったかと言うと、お金を無駄なことに使う事がもったいなくなっていったんです。
自動販売機を見ると、たいして喉も乾いていないのに、買ってしまう。と言うことをしなくなった。
日曜日の残高が、先週より多いと嬉しくなる。
1週間で残ったお金は、別の封筒に入れて、翌月曜日は、また1万円入れる。
財布に、ざっくりといくらくらいある。と言うのではなく、「3462円ある」と、はっきり覚えておく。
これをやりはじめたら、お金が「在る」方に意識が向くようになった。
貯まることにワクワクする。
何十万とか何百万とか、そんなお金じゃないし、1,000円とか542円とか、そんな大した金額でもないけれど、でもお金に対する意識は「在る」方になり、その周波数に乗ったことになる。
意識は、1つにしか向くことができないから、今までの「無い」と言う方向に意識を向けてると、「無い」と言う不安の周波数の中にいることになる。
『願いは叶う』と言われると、頭の中でイメージばかりを膨らませ、
今、ここに在ることに意識を向けなくなる。
これは、お金だけじゃなく、全てに通じる。
外して、外して、とにかく外していくと、自分が持った色々な観念や信念が外れていく。
その中には、お金に対する観念や信念もある。
観念や信念が、ブロックとなっているだけなのに、望みが叶わないと思ってしまう。
ここに来て思うのは、色んな観念や信念は、「これ」と割り切れるようなモノではなく、様々な観念や信念が絡まっていて、全く別の観念や信念を外したつもりだったのに、他の観念や信念にも影響を与えている時がある。
結局のところ、この私の頭の中で考えられるようなレベルのモノではないと、つくづく思わされる。
さて、明日は今年最後の出勤日。
事務所の大掃除をすることになっている。
お昼は、ちょっと豪華なお弁当
何だか、いつものお正月じゃなく、新しい幕開けって感じ。