「ちょっとぉ~、聞いてよ~ムキー。あの人の為だと思ってやっといてあげたのにさぁ~

お礼も言わないんだよぉ、どう思う?もう、二度としてやらないムカムカ

 

 

おいおい、誰も頼んでねぇっつぅの滝汗

 

 

こんな話しは、よくあることです。

 

 

 

「いいの、いいの、気にしないでぇ~ニコニコ

そう言いながら、どこか何かを期待している自分がいる。

 

何かお返しが欲しい?

何かお礼を言って欲しい?

 

実は、そうじゃない。

これは、見える結果

 

 

 

自分が本当に求めているのは、見えない結果

 

 

それは、自分の存在価値。

 

褒められることや、偉い人と言われることや、先生とあがめ祀られることで、自分の存在価値を満足させようとする無意識の自分。

 

人より何かができる。

人より何かを知っている。

そう思うことで、自分の存在価値を高めていかないと、

自分が崩壊してしまうと言う不安や恐怖に襲われることが怖くて、てっぺんを目指そうとする。

 

だから、自分の存在価値を無くさせるような人物やモノが現れると排除しようとする。

 

 

 

2週間前のテニススクールで、初めてお会いした方が

「テニス、上手ですね。」

と、私に言ってきた。

「あ、ありがとうございます。」

と、私は答えた。

 

でも、心の中では、

はぁはてなマーク私、3年やってるんですけどぉ~。何?その上から目線はえー

 

そう感情が動いた。

 

ほぉ~、感情が動いたぞ。この感情は何だ?

 

外すのに、またムカつく。

もう一度、外す。

まだ、ムカつく。

そのうち、テニスに集中してその事を忘れてた。

 

でも、このテニスが終わってから、右手首が痛くなった。

自分の中では、コーチとラリーが続くようになって、でもコーチから返ってくるボールは重たくて力任せにラリーを続けてたから、手首を痛めたのかなと、そう思ってた。

 

 

10日経っても一向に治る気配がない。

腫れもないし、赤くなっているわけでもない。

押さえてみてもピンポイントで痛いところはない。

だけど、ドアノブとか手首をまわすと痛みが強くて回せない。

トイレットペーパーの12ロールを持つのも痛い。

だから、今日、手首のサポーターを購入した。

徐々に良くなるはずなのに、まったく症状が変わらない。

このままじゃ、今度のテニス休まないといけないかも・・・ショボーン

 

でもこれ、インナーチャイルドが私に何かを伝えようとしてる。

 

何を私に伝えてる?

 

 

答えが返ってきた。

 

先日からの知人とのメールのやり取りと、

私が毎日読んでいる、ある方のブログで答えが出た。

 

それは、

『傲慢』

 

 

 

 

私の兄は、成績優秀で、中学・高校といつも成績はトップを争っていた。

私は、ごく普通の成績。

だから、親や親せきの人によく言われた。

 

「兄貴は、かしこいけど、おまえはアホやなぁ」

なんでもないその言葉が、いつの間にか私の中にインプットされていった。

 

私は、兄のように勉強すれば、かしこくなると思って、

兄の勉強のスケジュールをそのまま真似して勉強をした。

でも、時間だけかけるだけで、要点をついた勉強ができなくて、

いつも結果にはつながらなかった。

 

それでも、看護専門学校に入り、国家試験に合格し看護師になり、勉強したことが実際の現場で活かせることが楽しかった。

テストの為ではなく、看護と言う仕事に活かせる勉強は、私にとって勉強ではなかった。

 

そんな過去の記憶を思い出し、

自分の存在価値を見出すために、結果を求めていたことに気づいた。

 

気づいた途端、右手首の痛みが引き始めたのがわかった。

全く治る気配のなかった右手首の痛みが和らぐ。

手首を動かすと、パリパリっと、まるで鉄からサビが落ちるような

絡みついていた氷が、パリパリっと落ちるようなそんな音がして、一気に痛みが引き始めた。

 

昨日の夜まで、このブログを書くためキーボードを押すのも少し苦痛だったのに、今は全く痛みが無くなった。

 

 

 

どうしたって、自分がやったことに対する結果を求めてしまう。

結果を求めることが悪いとか良いとか、そういう話しではなく

 

結果を求めるその裏に、自分の存在価値を見出すたのプロセスが存在しているかどうか。

無意識のうちに、自分が行っていることが、自分の存在価値を見出すために行っているとしたら、その方向は、本当の自分とはどんどんかけ離れていくことになる。

 

 

具体的に言えば、私が料理が上手だとします。

家族の為に作る夕食だけど、

私が無意識の中でも、ただ美味しい料理を食べさせてあげたいと思って作っている場合は、

家族が美味しいと言ってくれなくても、家族が笑顔で話しができていることや、おかわりをしてくれることで十分満足で、そのあとの食器の片付けも何の苦痛でもないわけです。

 

ところが、自分の無意識の中に、自分の存在価値は料理を上手に作ることだと思い込んでいると、美味しかったと言う言葉や、料理に対して褒めてもらうことを求めてしまい、それがないと「せっかく作ったのに」と言う感情が芽生え、自分を認めてもらえるモノがなくなり、料理を作ることがイヤになってくる。

 

 

 

これが、結果を求めると言う落とし穴です。

 

 

 

でもね、あまり深く考えないでください。

考え始めると、思考(頭)が優位になってしまいますからね。

 

それを外す必要がある時がきたら、必ずハイヤーセルフインナーチャイルドが教えてくれますから。

 

 

てことで、

 

やったーーーーー!!!!!!

テニスができるーーーーーー爆  笑爆  笑爆  笑爆  笑爆  笑ラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブ

 

大阪なおみを、目指すぞーーーーニコニコニコニコ