『観念』とは、自分が無意識に信じ込んでしまったこと。
「あ~、仕事って大変ね。」
「食べたら太るに決まってるじゃない!」
「お金はね、使ったら貯まんないの!」
これ、全て『観念』です。
この『観念』が、心の重りになってしまうんです。
これが、インナーチャイルドが、捨てて欲しいと思っているモノです。
『観念』は、最終的には捨ててしまうモノです。
でも、この『観念』が、今までの私と言う存在を創ってきた。
と言うことも忘れてはいけないことですし、
この『観念』があったからこそ、今の私に成れたということも事実で
この『観念』を見つけることができて、
それを捨てることができたあとの私が観る世界は
ついさっきまで私が観ていた世界とは全く違う世界へ連れていってくれるという
7年前の私には、想像すらできなかった体験をさせてくれる。
だから、『観念』は、感謝して捨てると言うことを忘れてはいけないんです。
私が持っていた、私と言う存在を創った『観念』は、『調和』。
・・・ちょっと、何言ってんだかわかんないんですけど・・・
まぁまぁ、そう言わずに
この話しの続き
父の義父、いわゆる叔父が亡くなってから、父は笑顔を見せるようになり、私も高校生になり、段々会話が成立するようになってはきました。
でも、父は直ぐに嫌な顔をし、怒るんです。
あれは、寒い冬で、学校から帰った私に母は、
「早く、ストーブに当たりな」そう言ってくれた。
でも、おかしいんです。ストーブの真ん前に行って、手をかざしても、ちっとも熱さを感じない。
ん?おかしい。もしかして、熱がある?
自分で体温計を持ち出して、こそっと測りました。
39℃を超えてました。
でも私、熱があること言えないんです。黙ってました
なぜって、父が怒るからです。
母が気づいて、「何度やったん?」
「・・・・39度・・・」
「39度な!えらいことやんかな!早よ休みな」
その騒ぎに気付いた父が発した言葉は
「おまえが悪いんや!早よ、寝よ!」
・・・だから、気づかれたくなかった。
「参考書を買いたい。」
父がいない時に、母にこそっと言う。
そんな時に限って、後ろにいたりする。
そして父が言う。
「そんなもん買うても、使わへんやろ!」
そう、確かに買っても使わない。
でもさぁ、娘が勉強にやる気出してるんだから、参考書くらい買ってくれてもいいやんか!
結局、母は、買ってくれた。
高校を卒業し、看護専門学校は全寮制で、家から脱出することができた。
自宅からそれほど遠い場所でもなかったから、毎週土日には帰っていた。
兄も大学に行っていたから、私が帰ると、父も喜んでくれて、怒ることはなくなった。
私は、看護学校を卒業し、無事国家試験も合格し、看護師として働いて、大阪の救急センターで働いて、結婚退職して、主婦になり子どもが産まれて育児をして・・・
実家から3時間かけて時折遊びにくる両親も、孫を見てニコニコして、
あの怖かった父は、もうどこにも存在しなくなった。
私も、普通に父と話しができるようになった。
ところが、ところがです・・・
インナーチャイルドは、忘れていなかったんです。
次回へつづく