私が生まれたとき、両親と3つ違いの兄と、祖父母がいた。
祖父母は、父親の本当の両親ではなく、父にとっては叔父さん夫婦。
父の本当の両親は、1分も歩けば父の弟夫婦と住んでいた。
父の叔父さん夫婦、要するに父の実父の兄夫婦には、子どもがいなかった。
それで、父が20歳の時に養子として籍を入れた。
父のその叔父さんは、近所でも有名な ドケチで、嫌われ者だった。
父は長男で、本当なら弟の方が養子に行くが、弟は言いたいことをはっきり言ってしまい、きっと我慢できないだろうから、大人しい父の方が、その叔父の養子となった。
叔父は、常に父や母を怒鳴り散らし、父は何も言わない人になっていき、私が何か話しかけても何も答えてくれない人になり、そんな父を私は大嫌いになり、父が農協の旅行に出かけると「二度と帰って来なくていい!母だけでいい!」
よくそう思っていた。
私が中学3年生の時、その叔父が亡くなった。
その瞬間、私の家の中の緊張が一気に溶けた。そう感じた。
今まで話しをしなかった父が、笑顔で話しだし、親子という関係に初めてなった気がした。
そして私は、
こういう人生を歩む。
この家族構成と環境で育った私が持った大きな『観念』は
『調和』
これが、私の生きていく土台となっていった。
次回へつづく