食べた物を紙に書くだけのダイエット方法に目をつけた私は、
「カロリーがわかるならもっと面白いのに」
そう思い、ネット検索。
「あった~ これこれ」
それが
「あすけん」と言うアプリ。
栄養士さんたちが考えたアプリで、食べた物を入力するだけでカロリー計算から、栄養状態までわかり、体重や体脂肪もグラフになって現れる。
「すんばらしい~」
私は、入力することが面白くなりました。もちろん、体重も毎日測ります。
そうすると、次第に
「へぇ~、これってこんなにカロリーあるんだぁ」とか、
「これより、この方がタンパク質多いんだぁ」とか、わざわざ勉強しなくても、いつのまにやら覚えていってしまいました。
そしてなんと、
いつのまにやら、私の体重は48㎏になっていたんです
この「いつのまにやら」がキーポイントなんです。
これ、覚えておいてくださいね。
私がダイエットできたことの自慢話しをしたいわけじゃないんです。
では、話しは全く変わって
幸太郎の事があって病院を辞めて、今の私の時にまで瞬間移動します。
58歳と言う年齢もあってか、
「食べたら食べただけ体重は、足し算のように増えていく」
決して裏切りません。計算を間違えません。
テニスをしてるのに痩せない。
誰かが私に脂肪を投げつけているのかと思うほど、腹に脂肪が付き、腹巻のように温かい。
「そうだ!テニスのコーチが言っていた、スクワットをしよう!!」
1回に10回のスクワットを1日のうち2回やる!!
そう決めた私は、まじめに頑張りました。
でも、痩せない
「じゃあ、4回やろう!!」
私は、頑張った。
ところが数日後、
テニス中に、右足の肉離れを起こした最悪・・・
「え~~スクワットどころか、テニスもできないんじゃあ、太れっていう事かぁ」
でも、私は10年前の私ではない。
肉離れを起こしたと言う事は、本当の自分とズレてたってこと。
「私が信じたことが現実になる」と言うことを知っています。
ここは、冷静に自分を見る。
はてさて、私は、この「太る」と言うことに、どんな『観念』を持っているのだろう。
そう考えた私は、自分の『観念』をリストアップしました。
一番最初に上がったのは
「食べたら太る」
「当たり前じゃないの~」って?
そう、当たり前です。でも、これ『観念』です。
だって、あなたの身近にいませんか?
食べても太らない人
いるでしょ?
私は、私が思ったことが『観念』かそうでないかをチェックする時に使う方法は
「その思ったことが、世界中の人に当てはまるか?」
と、自分に質問するんです。
例えば、
「お金がなくては幸せになれない。」そう思ったとしたら、
「じゃあ、アフリカの奥地に住んで、お金のやりとりがない人は幸せじゃないのか?」って考えた時、「そうじゃない」ってわかりますから、
「お金がなくては幸せになれない。」は、自分が信じた、自分に引っ付けてしまった『観念』だなって思って、捨てる。
と言うように、「太っている」と言うことに対する、自分が思っていること=信じたことを、どんどん捨てていったんです。
すると、何が起こったかと言うと、
「自分が食べる分量や食べる物を勝手に体が反応して、それ以上食べさせてくれないし、必要じゃないものは、食べたくない。」と言うことが起こってきたわけです。
食べたい物を我慢するのは大変ですが、食べたくない物を食べないのですから、何の我慢もいらないわけです。
そして私は
「あぁ~、簡単に痩せれるんだ」
そう思いました。
でも、この「簡単に痩せれる」も『観念』です。
簡単に痩せれない人がいるからです。
この『観念』を持ち続けると、やがて「簡単に痩せられない」と言う事を見せられることになります。
私たちは常に、心も体も、フラットの状態に戻そうとします。
何かが足りなければ足そうとするし、何かが多ければ出そうとする。
どちらにも偏らない、良いも悪いもない状態にしようと働き始めます。
だから、「簡単に痩せられる」これも捨てます。
この『観念』と言う壁がなくなると、私の望みはすんなり叶い始めます。
私の望みは
「私のこの肉体にとって、一番調和のとれた体調を維持する。」
標準体重とか、体重の重さとか、〇〇㎏は痩せてて、〇〇㎏は太ってるとか、それは人間が勝手に決めたことで、体重計がない世界では当てはまらない。
結果的に、私の体重がいくつであろうが、私の血圧がいくつであろうが、私にとってベストの体調がベストなんです。
今の私は、しこたまランチを食べようが、旅行に行って朝から2杯のご飯を食べようが、そのあとで体に調整が始まるので、勝手に元に戻っていくと言う現象が起こりだしました。
次回に続く。