人が、『幸せ』であるための条件には、必ず『健康』が上がってきます。
どんなにお金があっても、どんなに人間関係がよくっても、どんなにやりたいことがあっても、
この『健康』がないと何も成り立たない。
でも、病気=不幸ではないとも思います。
その病気にならなければ、気づけなかった『幸せ』もあるはずです。
私が、現役で看護師として働いていた時、
「その病気になる人には、傾向があるんじゃないか?」
そう思う事がよくありました。
例えば、
脳梗塞や脳出血と言う病気になっていた人の傾向は、
顔が脂っこく、ギタギタしていて、大抵ハゲてて、エロいことばかり話してきて、怒りっぽい。
逆にね、ハゲてても、顔がギタギタしていない人は、この病気じゃなかった。
※頭がハゲていることが問題ではありません。
心臓疾患で入院してくる人の傾向は、自分の決めたことが多くて、いつもと違うことをされるととても憤慨する。いわゆるまじめな人が多くて、自分が一番正しいと思ってて、どんなに説明しても納得しない。
胃腸系統が悪い人の傾向は、
神経質。と言うか、細かいことをいちいち気にするし、不安を解消するために、質問してくるから答えるんだけど、それでもその不安は解消されなくて、また違う人に同じことを聞いて回る。
糖尿病で入院してくる人の傾向は、
医師の言われることや看護師の言うことを、その通り素直に聞いてくれて、「そうですね、そうですね」と言いながら、酒はやめない、運動はしない、隠れて間食をする。
あ、あくまでも、私が感じた傾向ですからね。
こういう人が、こういう病気になると言う事ではなく、
この病気に罹患していた人が、こういう傾向にあった。と言うことです。
「病は、気から」
と言うことわざがあります。
このことわざを使う時と言うのは大抵、自分の家族や知人が病気になってて落ち込んでいるときに励まそうとして使いませんか?
「病は、気からって言うじゃない~、大丈夫よぉ~」ってね。
でも、最近つくづく思うんですよ。
「病気」って書くけど、なんで体が病になったんだから「病体」って言わないのか。
病気が治ったことを「治癒(ちゆ)」するって言うんですけど、
このまま漢字を読むと「癒し治す」。
なんで、体が治ったんだから「治体」って言わないのか。
「元気」って、気を元に戻すだけど、体の事を言うなら
なぜ、「元体」と言わないのか。
どの時代から誰が、この「病気」や「治癒」と言う言葉や漢字を考えたのか、ひらめいたのかわからないけど、改めて漢字はその本質をついていると思う事がたくさんある。
そして、今になって、私が最初に書いた「傾向」は、あながち間違いじゃなかったとそう思います。
例えば心臓。
心臓の働きは、規則的に体中に血液を循環させるというポンプの役割。
心臓疾患で入院してくる人の傾向は、自分の決めたことが多くて、いつもと違うことをされるととても憤慨する。いわゆるまじめな人が多くて、自分が一番正しいと思ってて、どんなに説明しても納得しない。
よく似てませんか?
心臓の働きと、その人の性格。
私は、西洋医学バリバリで医学を学んできたけれど、息子の病気で東洋医学の漢方を取り入れることになったり、この精神世界を知ることになって
「病は気から」と言うのは、
落ち込んだ時に使うことわざではなく、
「病気と言う、外に現れた結果は、内(気持ち、心)から始まっている」
「内(気持ち、心)を、癒し治さないと、外に現れた病気は治らない」
そういうことなんだと思うようになった。
看護師であること、
最愛の息子を亡くしたこと、
精神世界を知ったことで、
私が学んだこと、経験したことを通じて、少しでも皆さんが『健康』(すこやか、やすらか)に過ごすことができるよう、このブログを通じてお伝えしていきたいと思います。