A会社との契約は、とてもビックな契約で、この契約が成立すれば、必ず昇進することができ、会社にとっても自分にとってもメリットがあるから、どうあってもA会社との契約を取り交わしたい。
だけど、B会社と契約しても、何のメリットもない。
だから、B会社の社員と偶然出会うことがあったとしても、相手にする必要などない。
この世界は、曼荼羅。
A会社の幹部とB会社の平社員が幼馴染で、
「久しぶりに一緒に食事でもどう?」
と、一緒に食事をした時の会話の中に、
今度契約をしようとしているC会社の話しになって、
そのC会社の契約担当者と、B会社の平社員の挨拶を無視した職員が、同一人物だとわかったことで、A会社との契約が破断になった。
人は、勝手に判断してしまいます。
この人と関係を持っても何の得にもならない。
これは、私の望むことと全く関係がないからと、目の前の現実を無視していく。
でも、この世界は、そんなふうにはなっていません。
どこで何が、どうつながっているのかなど、まったくわかりません。
信号を無視することなんて、どうでもいいじゃない。
車は来てないし、誰にも迷惑かけてないし。
見てるのは、どこかの知らない子供だけ。
たったそれだけのことです。
たったそれだけのことなのに、この想いの中には、
約束を守らない自分がいて、
人が見ていないところと、見ているところでは違う態度を取るという、自分自身をごまかす自分がいて、
自分にとって得にならない人やコトには、関わろうとしない、「あなた=わたし」の関係性を無視する自分がいる。
意識の世界の「本当のわたし」の願いを叶えていない、現実の世界にいる「私」
現実の世界は、意識の世界の「わたしの想い」(潜在意識)を投影していますから、
いつまでたっても、
どんな願いをしても、
「その願いは叶わない」という現実世界を観ることになります。
仕事と家庭は別だとか、
上司と友達は別だとか、
大人と子供は別だとか、
そういう区別は、分離している世界です。
Aという願いが叶う世界は、
BやCやDという現実をクリアした向こうにある。
自分が持つ、
モヤモヤ感
違和感
衝動
やりたい
助けたい
協力したい
好き
そういう、「本当のわたし」からの、
今、この瞬間の、
それも、小さな、ほんのわずかな愛図を見逃さず、
その愛図を信じられる「わたし」であることが、
自分が望む世界へと、導いてくれています。



