ブログをお休みしてから8日が経ちました
本当はもっと早くに書こうと思っていたのですが
どうしても書けないでいました。
今日のブログは少し長くなるかと思いますが読んでいただけると幸いです
10月26日に母が亡くなりました。69歳でした。
主人と一緒になるために家を出てから20年間、会っていませんでした。
最後に母と話をしたのも電話だったので会ってはいません
26日の夜に姉から電話があり母が亡くなったと聞いた時
すぐに声が出ませんでした
母や父が亡くなってしまうという現実はいつかはやってくるだろう・・・
でも、まだそんなに早くはないだろう・・・そう高をくくっていたんです
会社のお友達や社員さんから 『早く連絡した方がいい』 と言われていたのに
電話をしなかった自分が一番悪い
シカの事件があってから、なんだか胸騒ぎはしたものの
電話をするのはもう少し後でもいいかな・・・姉が出張から帰ってきてからにしようかな・・・
そう先延ばしにしたら母がもう帰ってこなくなりました。
もう二度と会えません。
26日の夜に実家に向かい、母と対面しても母はもう話をしてくれませんでした。
そのかわり父が、どうしてこうなるまでに私に連絡をしなかったのかを教えてくれました。
『お前に帰る場所を与えてしまうと、ちょっと嫌なことがあったりすると帰ってきてしまうかもしれない。嫁いだ先で一生懸命に頑張っている話は聞いているから邪魔はしないほうがいい』
亡くなる2週間前にいとこが聞いても同じことを言って私に連絡することを母は拒んだそうです
それは母の決心であり、意志の強さでもありました。
でも、それでも私は最後に生きている母に会いたかった
でも、そうしなかったのは私自信です。
20年間、私は母に対してなんて酷い娘だったんだろうって、
育ててくれたのに、何も返せないままで何をしていたんだろうって・・・
自分も親になってみて親の苦しみをわかったつもりでいて、でもまったく母の気持ちをわかろうともしなかった。
今までは、どこかで生きているという確証はあったけれど
これからは一度目の母を亡くした時と同じように、どこにもいない母を頭の中で思い描くしかない日々が始まる。
どんなに悔やんでも、元通りにはならないし、
いつまでも泣いていたら母に叱られてしまう・・・・
そういう思いでいますが・・・・ボーっとしてしまう時もある
家にいても、仕事をしていても母の微笑んでいる遺影が思い浮かんで
最後に交わした母の言葉がよみがえる
『母親というものは、いつも笑っていないといいけない。太陽のように笑って生きていきなさいね』
そう言われて20年間そうしてきたつもりです
そしてこれからもそうしていこうと思います。
思い出の中の母も笑っている顔ばかりで、その笑顔に救われた時もありました。
あの笑顔に少しでも近づけることができたら、私はきっと幸せなんだと思います。
どんなに苦しく悲しいことがあっても、生きていかなければならないと
一度目の母の死によって教えられ
二度目の母からは笑顔でいることの大切さを教えられました。
母に出会えて良かった。
本当に今はそう思います。