このことを書くのに時間がかかってしまいました。


自分の中で納得したつもりなのに、


文章にするだけで涙がでてくるので


ですが・・・・書いておこうと思い、書くことにしました


震災から2・3週間が過ぎたころに


姉といとこのことについて話をしました。


わかったことは・・・・


いとこがどこにいるのかわからないということです。


いとこと叔父・伯母は宮城県の秋保温泉に住んでいました。


いとこは二人いて・・・・


私が小さい頃の記憶ですから・・・顔もおぼろげです


二人とも結婚されていて、苗字も違う


叔父や叔母も、秋保温泉の土地を売り


同じ宮城県のどこかに引っ越してしまい行方がわからず、


いとこの嫁ぎ先の苗字もわからない・・・


ただ・・・わかっていることは


名取市の魚屋さんにお嫁にいったということだけ・・・・


もう私の実家も親戚付き合いをしなくなって10数年がたち


そして・・・・探し出すこともできなくなってしまいました。


名取市は、津波の被害がひどかったところです。


どこかで絶対生きている。


そう思っても探しに行くことはできない。


これを読んだ人が、


『行こうと思えば行けるかもしれないじゃないか・・・』


そう思う人がいるかもしれない。


でも・・・・現実的に無理があることを私と姉は知っています。


だから、私と姉はこの話を二度としないでしょう。


20年以上も会っていないいとこを探し出すには


記憶がおぼろげで・・・顔さえも思い出せないほどで


記憶の中の二人は、少女の顔ですから・・・・