<~Sorciere~12 紺塵>
この男は今なんて言ったんだ?
聞こえなかったわけではない・・・確かに「君に家庭があるのはわかっている」そう言っていた・・・
なんのことだ・・・
家庭があるのはあなたたちではないか・・・・
それに僕も彼女も苦しんでいるというのに・・・僕に家庭があるわけないじゃないか・・・
「なにを言ってるんです?」
嘲笑とでもいおうか、ちょっと莫迦にしたような声も入り混じって僕は受話器を持ち直していた。
捲し立てたい衝動を堪えて、僕は冷たい声を放とうと意識した。
それでも、やはりあの言葉の真意を探らねばならない。
あれは僕を冷静にさせないための、呼び水の役目を担っているのか、
それとも、本当にそう誤解しているのか・・・
なら、その誤解はどこから迷わされたものなのか・・・
誰によって・・・なんのために・・・
その細い糸を探っていたら、一人の人しか思い当らなかった・・・
美智子・・・僕の愛する人だ・・・
まさか、君がそんな嘘を言ったのか・・・
「僕は・・・結婚なんてしていません」
きっぱりこう言い切った向こう側では、いるのかいないのか判らないほど静かになってしまって、僕は不安になってもう一度、
「僕は結婚なんてこれまでもしていませんよ・・・」
「え・・・・」
さっきまでうるさかった旦那の声が嘘のように止まり、まるで聞きなれない国の言葉を聞いたかのようなその態度に、僕は逆に聞き返していた。
「どうしてそんなことを思ったんですか・・・?その方が逆に僕を責めることができるとでも思ったんですか?」
ここでは敢えて、美智子が旦那に嘘を吹き込んだとは言わないようにしよう。
その方が、旦那は真相を吐いてくれるに違いない・・・そう思った
僕が美智子のことを、嘘を教えた犯人なのだと言い当ててしまったら、
この旦那のことである。僕が知りたい何もかもを話さなくなってしまうのではないか、そう思ったのだ。
「あなたたちがしている結婚生活をそのまま崩したくないから、だから僕にも家庭があるように思おうとしたんですか?その方があなたの傷が小さくなるからですか?男としての誇りを壊されたくないから?僕にも家庭があった方が自分だけが傷つくわけじゃないと、心の傷の理由をすり替えたいんですか?」
冷たい声が受話器を通して旦那へと流れ着いた時、向こう岸の旦那は信じられないことを口にしたのだった。