昨日の記事を読んでいただけて、コメントもいただいて
瑠璃は嬉しいです。
それでは・・・・続きを書きますね。
でも、どこから書いていいのか迷ってるんですけど
最初は・・・昨日の続きから書くことにしました
長くなりますが、どうか最後までお読みください(笑)
書き進めて行くうちにだんだん、シリアスになっていっているので.
ブルーになるかもしれませんが、ごめんね・・・
実は・・・ホントに簡単なことなんです。
父と主人が顔さえも会わしていない・・ということは・・・
両家の挨拶をしていないということです。
というよりも・・・主人が父に「娘さんをください」を言ってないということです。
っで・・・ここまでくればわかるでしょ?
そうです!
私たちの結婚は無理矢理なされたものなんです。
つ・ま・り(^▽^;)
か・け・お・ち・です
随分前から私の父は恐ろしい人だということを書いてはいたんですが、
ホントに怖くてね・・・。゚(T^T)゚。
私たちが付き合っていることも両親には黙っていたんです。
だって、バレたらきっと主人は半殺しの目にあうってわかってましたから。
そのことを付き合っている頃から主人に言っていた私・・・
ひょんなことから(主人の前の彼女から私の家に電話がかかってきたことで)
私が主人と付き合っていることがバレて・・・
私は社会人だったのに、3日間も家に監禁されて、
主人と連絡をとることもできない状態になりました。
その監禁されていた間、私はろくに食事をとれず、
部屋の中に隠し持っていたお菓子で空腹を満たしていたんです。
そんな状態で、父には主人と別れることを勝手に決められ、
主人に会ってもくれませんでした
主人に会ってくれさえすれば、主人がどんな人かわかりますし・・・・
でもどんなに懇願しても両親は首を縦には振りませんでした。
「その人が瑠璃を幸せにするとは思えない。会ってしまって、たとえイイ人だったとしてもお母さんは結婚を許さない。うちの家とその人の家とでは釣りあいがとれない・・・」
母が私に言った言葉でした。
幸せにするとは思えない?
会ってしまってイイ人だとしても許すことはできない?
釣りあいがとれない・・・?
幸せになっているって思うのは私のはずです。母じゃない。
私たちがその幸せを築いていこうとしているんです。
釣り合いが取れない?
そんなに家柄を重んじるのであれば私が家から出ればいい。
真剣にそう思いました。
両親の敷いたレールの上を今まで生きてきた私です。
高校を卒業して短大に行き、東京に就職が決まっていたのに
両親が反対して、「東京に行くのなら勘当する」と言われ、内定を受けていた会社をあきらめました。
その時は、私のことを心配して都会で独りで暮らすのを辞めさせたかったのだろう。
そう思い、泣く泣くあきらめました。
でも、結婚だけは譲るつもりはありませんでした。
(どうして「譲るつもりがない」かは後日記事にしますネ)
このままいったら親の言いなりで、親が用意した男と結婚させられてしまう。
そう思ったんです。
きっと、私が連れて行く男をこの人たちはことごとく打破するだろう。
ならば、言いなりにならなければいい。
主人に会ってさえもくれない親など、こちらから願い下げ!
人が生きて行くのに、学歴が必要ですか?
働いている会社が気に入らないからって、そんな理由で娘が納得できますか?
到底、納得などできません。
私は主人と別れることよりも、両親と決別する道を選んだんです。
主人はその当時勤めていた会社を辞めて、別の会社に入社し、
私を連れて静岡まで逃げてくれました。
主人と結婚して、16年経ちます。
その間、私は両親と一度も会っていません。
孫の顔を見せてもいません。
ダメな娘でしょう?
『そりゃ、瑠璃さんダメだよ。ちゃんと両親に謝らなければ・・・』
まわりの方々が私にそう言ってくれます。
私の姉も、「電話してきたら?」そう言ってくれます。
でも、私の中で踏ん切りがつけられないんです。
それは、この結婚を譲るつもりがなかった点にあるのですが・・・
・・・・・・・・・。
そんなに重視されることだったんでしょうか?
学歴と勤めている会社なんて・・・
そんなもの今のご時世、なんの意味のないものになっているじゃありませんか。
主人は今思えば、がむしゃらに仕事をしてきました。
結婚して、お金のことで大変な目にあったことは何度もあります。
それは主人の会社のことだったり、舅と姑が原因のときもあります。
確かに我が家は裕福ではありません。
でも、生きていることができているんです。
子供もいます。今の私は幸せなんです。
たまに、困ることが勃発するんですけど・・・・(笑)
それでも、私は主人と一緒になって良かったと思っています。
でも、それでも、たまにあの時ホントに道は一つだったのだろうか?と
自問自答するんです。
人というのは悲しい生き物で・・・
思い出というのは、どんなにつらいことでも美しいものにすりかえることができます。
だって、今自分がここに生きていることこそが
乗り越えたという証なのですから・・・
私が両親に育ててもらったという思い出はやはり美しいんです。
あの時の修羅場は、生きるか死ぬか、
今だからこそ書けますが、一歩間違っていたら私は両親とともに死んでいたかもしれません。
それほど、私はあの時両親を憎んでいたのです。
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今日はここまでにしますね・・・
後日、どうして両親を憎むことになったのか・・・
書けるときがきたら書こうと思います。
ちょっと、整理が必要なのかもしれません。