<secret letter・第9章 自失>
郁子・・・もう駄目かもしれない。
やっぱり、僕には君しかいないのかもしれない。
恵子の浮気を確信し、心を狂わせてしまった僕は、
今、部屋の中に独りでいる。
闇夜から太陽が昇ってくるのを部屋の中で感じていると、
自分が住んでいた家がこんなに広いものなのだと初めて感じた。
鳥の囀り(さえずり)で朝がやってきたことを知り、
僕は無気力な身体に鞭を打って動かすんだ。
二階にある寝室からゆっくりと歩き出して、
階段にところどころ散らばった喧嘩の惨状を拾い集め、
僕は睡眠不足で痛くなった頭を左右に少し振りながら
階段の手摺に手を掛けて降りて行く。
恵子がいなくなったリビングに入り、
恵子の声がなくなった部屋を見回して、もう一度独りであることを確認する。
その動作がどのくらいの時間の中で行われたのか
僕は時計を見て確認しようと思ったのだけれど、
その掛時計さえも喧嘩で投げつけた花瓶が見事に当たり壊れてしまっていた。
仕方なく、僕は汚れた手を洗うために台所まで行き、
水を一杯呑みこんで、もたつく足を動かし和室にある時計を探しにいったのだった。
郁子が死んで仏壇を買い、郁子も時間がわからないと嫌だろうと、
そんなおかしな発想から誰もいない部屋にまで時計を置いていたのが
今回、役に立とうとは思いもしなかった。
座卓の上にある黒い時計を握りよせ、僕は仏壇の前へと胡坐をかいて座った。
時計は午前7時を指している。
秒針の時を刻む音が静かな和室に響き、僕はその音にさえも苛ついた。
「郁子・・・」
亡くした元妻の名前を口にして、
その妻が僕に捧げた愛情の深さを痛感する。
「やはりダメだよ・・・。君じゃなきゃ・・・・」
そんな事を言ってみても郁子が帰ってこないことぐらい判り切っているというのに
ついつい口にしてしまうのは、僕がやはり弱いからかもしれない。
仏壇の前で頭を垂れ、不意に郁子の顔が見たくなって、
僕は仏壇の引き出しへと手を伸ばしてみる。
郁子が死んで、恵子との新しいスタートを切るのに元妻の写真を飾るわけにはいかない。
そう思って郁子の写真は全て仏壇の引き出しに仕舞ったのだった。
白い布の中におさめられた写真を出すのに、引き出しごと引き抜いた僕は
この時初めて、その奥にもう一つ引き出しがあることに気がついたのだった。
隠し扉ならぬ、隠し引き出しがあるなど思っていなかった僕は
引き抜いた引き出しを床に置いて、そのまま奥の引き出しをズズッと抜き出したのである。
その中に隠されていた物。
それは、手紙だった。
だがしかし、それは僕に対する手紙ではなく・・・
郁子が恵子に宛てた手紙だったのである。
流れるような筆跡は郁子自身のものだから間違いはない。
ボールペンで書かれた宛名を見つめ、消印を見ると、
おかしなことに二人が対峙した日よりも早い日付だった。
どういうことだ?
徹夜した頭は思考回路が働かない。
止まったままの自分の脳みそを恨み、ゆっくりと組み立てていく。
郁子の病気が判明するまで、僕は恵子に妻の存在を隠して逢っていた。
半年の命だからずっと傍にいてやりたいんだ。
そう言って別れを告げようとした僕を引き留めた時に恵子は初めて妻の存在を知った筈である。
それなのに・・・なぜ、この手紙の消印はあの出来事よりも前になっているんだ?
もしかして・・・
郁子は自分の存在を愛人である恵子に知らせていた?
そして惠子も僕に妻がいる事を知っていながら、知らないフリをずっとしていた?
どうして?なんのために?
僕は一瞬、躊躇ったのだけれど、意を決して封筒を広げ手紙を出して読んでみた。
その中身には郁子の本当の声が封じ込められていた。
***********
第10章・手紙へつづく
郁子・・・もう駄目かもしれない。
やっぱり、僕には君しかいないのかもしれない。
恵子の浮気を確信し、心を狂わせてしまった僕は、
今、部屋の中に独りでいる。
闇夜から太陽が昇ってくるのを部屋の中で感じていると、
自分が住んでいた家がこんなに広いものなのだと初めて感じた。
鳥の囀り(さえずり)で朝がやってきたことを知り、
僕は無気力な身体に鞭を打って動かすんだ。
二階にある寝室からゆっくりと歩き出して、
階段にところどころ散らばった喧嘩の惨状を拾い集め、
僕は睡眠不足で痛くなった頭を左右に少し振りながら
階段の手摺に手を掛けて降りて行く。
恵子がいなくなったリビングに入り、
恵子の声がなくなった部屋を見回して、もう一度独りであることを確認する。
その動作がどのくらいの時間の中で行われたのか
僕は時計を見て確認しようと思ったのだけれど、
その掛時計さえも喧嘩で投げつけた花瓶が見事に当たり壊れてしまっていた。
仕方なく、僕は汚れた手を洗うために台所まで行き、
水を一杯呑みこんで、もたつく足を動かし和室にある時計を探しにいったのだった。
郁子が死んで仏壇を買い、郁子も時間がわからないと嫌だろうと、
そんなおかしな発想から誰もいない部屋にまで時計を置いていたのが
今回、役に立とうとは思いもしなかった。
座卓の上にある黒い時計を握りよせ、僕は仏壇の前へと胡坐をかいて座った。
時計は午前7時を指している。
秒針の時を刻む音が静かな和室に響き、僕はその音にさえも苛ついた。
「郁子・・・」
亡くした元妻の名前を口にして、
その妻が僕に捧げた愛情の深さを痛感する。
「やはりダメだよ・・・。君じゃなきゃ・・・・」
そんな事を言ってみても郁子が帰ってこないことぐらい判り切っているというのに
ついつい口にしてしまうのは、僕がやはり弱いからかもしれない。
仏壇の前で頭を垂れ、不意に郁子の顔が見たくなって、
僕は仏壇の引き出しへと手を伸ばしてみる。
郁子が死んで、恵子との新しいスタートを切るのに元妻の写真を飾るわけにはいかない。
そう思って郁子の写真は全て仏壇の引き出しに仕舞ったのだった。
白い布の中におさめられた写真を出すのに、引き出しごと引き抜いた僕は
この時初めて、その奥にもう一つ引き出しがあることに気がついたのだった。
隠し扉ならぬ、隠し引き出しがあるなど思っていなかった僕は
引き抜いた引き出しを床に置いて、そのまま奥の引き出しをズズッと抜き出したのである。
その中に隠されていた物。
それは、手紙だった。
だがしかし、それは僕に対する手紙ではなく・・・
郁子が恵子に宛てた手紙だったのである。
流れるような筆跡は郁子自身のものだから間違いはない。
ボールペンで書かれた宛名を見つめ、消印を見ると、
おかしなことに二人が対峙した日よりも早い日付だった。
どういうことだ?
徹夜した頭は思考回路が働かない。
止まったままの自分の脳みそを恨み、ゆっくりと組み立てていく。
郁子の病気が判明するまで、僕は恵子に妻の存在を隠して逢っていた。
半年の命だからずっと傍にいてやりたいんだ。
そう言って別れを告げようとした僕を引き留めた時に恵子は初めて妻の存在を知った筈である。
それなのに・・・なぜ、この手紙の消印はあの出来事よりも前になっているんだ?
もしかして・・・
郁子は自分の存在を愛人である恵子に知らせていた?
そして惠子も僕に妻がいる事を知っていながら、知らないフリをずっとしていた?
どうして?なんのために?
僕は一瞬、躊躇ったのだけれど、意を決して封筒を広げ手紙を出して読んでみた。
その中身には郁子の本当の声が封じ込められていた。
***********
第10章・手紙へつづく