<Wisteria 幻影写真・終章> ショートストーリー
あの人が私に言ってくれた最後の言葉・・・・。
『あなたに一つ憶えておいていただきたいことがあるの・・・。藤の花言葉をどこかで調べてくださいな・・・・それが私達の想いですから・・・・』
藤の花言葉・・・。
夢の出来事とはいえ、本当に彼の両親が言ってくれた言葉のような気がして
私は花言葉をさがしたくて、彼の家のパソコンを起動させていました。
藤の花。花言葉・・・。
そう心の中で呟きながら私は目当てのサイトからその名前を探し出すことができていました。
「あっ、あった・・・」
花の写真とともに載せられていた花言葉は・・・・
『歓迎』
もう一度息をのみ込んで、微かに私の唇が震えています。
ゆっくりと瞳を瞑り、意を決したように彼へと顔を向けると、
もう一つ訊きたい事があると静かに唇を開いたのです。
「ごめんなさい。もうひとつだけ訊きたい事があって・・・」
「なんだい?」
「あなたにお姉さんか妹さんっていたのかしら?」
「なにを急に・・・・いないけど・・・」
「いないの?」
彼の言葉がどこか見知らぬ国の言葉のような気がして、すぐには受け入れられなかった。
そう・・・いないの・・・
やはり、あれは私自身が自分の母親を求めていた夢に過ぎなかったのか・・・
追い求めた『母親』という姿が、彼の母親に似ていただけなのだ。
出かけた声をのみこんだ私は、そのままもう一度パソコンの中の藤の花へと瞳を移していく。
「どうしたんだ?今日は・・・おかしいよ、加奈」
一笑した彼が私に諭すようにして言った言葉から数秒後、
「でも、ちょっと待って・・・・そう言えば・・・」
そう言葉を続けてきたのだった。
「そういえば・・・俺が幼稚園にいた時に母が流産していたと話してくれたな・・・そのお腹にいた赤ん坊が女の子かどうかは判らないけどね・・・」
「・・・・」
「加奈?どうしてそんな事を訊くんだい?」
「ごめんなさい。変なことを訊いて・・・」
「いや、べつにいいけど・・・」
腑に落ちない彼の視線が痛いほど伝わってくる。
でも、まだ私は切り出せずにいた。
これはどう考えていいのでしょうか・・・
彼のお母さんが流産していた赤ちゃんは、女の子だったと思ってもいいのでしょうか?
偶然と思うには、写真の二人の笑顔が
あの時、あの藤棚の下で見せてくれた笑顔そのものだったということ。
あの藤棚のご婦人の娘さんは病気で亡くなったと言われ、
彼のお母さんの赤ちゃんは流産だったと彼が話してくれ、
そして何より、私がパソコンで見つけた藤の花言葉のこと・・・。
「歓迎」という花言葉。
これが意味するもの。
それは・・・きっと夢の中に現れた二人が、
残していった息子のことを私に頼むというものだったのではないでしょうか?
『あなたを歓迎しますよ。恋に酔い、決して息子から離れないでくださいね』
藤の花言葉を繋げてみたら、こんな言葉になったのです。
『娘に似ているあなたと出会えたことが、何でしょう・・・運命かと思ったのですよ』
天国で、流れてしまった赤ちゃんと再会できた彼のお母さんが、
そう話してくれたのだとしたらどうでしょう?
その再会できた赤ちゃんが天国で大きくなっていて、私に似ていたとしたら?
その似ている私が電車の中で息子である彼の隣に座ったのを
雲の上から見ていたとしたら?
せめて夢の中でもいいから私と話をしたかったのではないでしょうか?
夢の中でしか逢うことがかなわない私達だったから・・・
出逢えた証拠に、私の身体のどこかに藤の花を忍ばせていったのではないでしょうか?
あのことは夢の中の出来事だけれど、
でも本当は現実と夢の狭間での出来事だったのだと・・・
きっとあの二人はそう言いたくて、
藤園の入園切符を私に渡してくれたのだと私は思うのです。
彼の家から自宅へと戻り、数日後もう一度彼の家へと行った私は
一冊のアルバムを手にしていました。
そのアルバムは旅の思い出用のアルバムです。
桜色の表紙のその中を独りで確かめるのが怖くて、彼と一緒に見てみようと思ったのです。
彼と一緒なら怖くない。
そう思えたのです。
急にアルバムを持ってきた私に彼は
「なに?今までの加奈を俺に見せてくれるの?」
そう茶化してきます。
私はそんな彼を隣にしながら深呼吸をひとつして表紙をあけ、
ページを駆け足で繰っていきました。
過去の旅の写真と私の一言が、押し花とともに綴られています。
桜、あじさい、薔薇、水仙。
花と同じ数だけ旅があり、藤の花はアルバムの最後の方にある筈です。
最近の写真の、ほんの手前のページにそれはおさめられていて
ページを繰った次の瞬間、私が探していた物が目の中に飛び込んできたのです。
あの時、私の肩の上に舞落ちてきた藤の花をご婦人から受け取った時・・・
そっとティッシュにくるみ大事にアルバムの中に挟んでおいたもの。
私の記憶が曖昧で、本当にそこにあるかは不安だったのだけれど、
あの藤の花と藤園のチケットが残されていました。
もし、夢の中の出来事であったのなら
その二つは消えている筈です。
だが、その二つは形を変えて残されていたのでした。
藤の花びらはそのまま押し花となって
そして藤園のチケットは・・・・
私があの二人に写してもらった写真となって・・・
たとえそれが、他の人の目には藤の花びらが沢山おさめられている
妙なアルバムにしか見えないとしても、
私の瞳にはしっかりとあの時の写真がそこにはあるのでした。
不意に私は彼へと視線を這わして、
「あなたに話さないといけない事があって・・・」
そう切り出していました。
彼がこの話を聞いて、どう思うかは判らないけれど・・・
でも、やはり私が彼の両親と夢の中で旅をしたことは
言わなければならないと・・・そう思ったのです。
私が声を詰まらせ切り出そうとした時、不意に彼が・・・
「この写真の場所、俺の両親が行った場所と一緒だね・・・君も行っていたんだ・・・」
そう言ってきたのです。
どう言えばいいのか悩んでいた私は驚いて、目を見開き彼の顔を見つめ返しました。
花びらが写真に見えていたのは私だけではなかったのです。
でも、その後まばたきをした彼が・・・
「あれ?変だな・・・さっきは君が写っている写真に見えたのに・・・」
そう不思議そうに首を傾げてアルバムの花びらをフィルムの上から指で撫でています。
そう、その魔法はほんの一瞬だけのこと。
でも、きっとその魔法があったあとで
あの話をすれば・・・きっと彼は信じてくれる筈。
私、あなたのご両親と藤の花を見に行ったことがあるのよ・・・・。
一年前に・・・・
アルバムはそのまま開いたままで、
あの写真立てをもう一度、手元に引き寄せて私がすべてを告げると、
彼は真剣な眼差しを私に向けて、
日曜日の午後の日差しが暮れかけている部屋の中で
私をそっと抱き寄せこう言ってくれたのでした。
「・・・・そうか、きっと母は君を娘にしたいと思ったのだろうね」
その言葉が、今まで堪えていた私の感情を揺さぶり、
子供のように泣きじゃくってもいいのだと言われているようにも聞こえて、
ただ泣いてしまいました。
逢いたいと思っても逢う事が叶わない彼の両親。
もう一度、親娘となって笑い合いたかった・・・・。
そう思ったら、涙はとまらなかったのです。
私が心を落ち着かせ涙を拭き、ふと窓を見ると、
外は太陽が沈んだ後にみせる、極上の紫色をしていました。
その見事な青紫は、あの日夢の中で見た藤の色と似ていて、
静かに二人の上に落ちていき、天空には星が一つ煌めいていました。
私たちは、きっとこの先も同じ道を歩いていくことでしょう。
でもその長い道のりの中で今日という日は忘れることはないと思います。
二人の想いが重なり、家族となる事を二人で決めて、
見上げた空の星が二人を祝福してくれた、今日という日を・・・
藤の奇跡とともに・・・・きっと忘れないことでしょう。