<Wisteria ~幻影写真~・4>

樹齢1000年を超えた藤の幹は太く、

絡み合いまるでもつれているかのように見える。

解けないパズルがそこにあるかのように思える幹に柵まで近寄り

私はその大きな藤の樹にまるで吸い込まれるように見入ってしまっていた。

上から垂れさがる花房は優に2メートルはあるだろう。

濃密な花の香りに眩暈をおぼえてしまうほどだった。

どこまでも甘く芳しい藤の花。

「加奈さん。こっちを向いて」

そう言われて思わず反射的に振り返ると、笑顔のご婦人がカメラを持って笑っている。

カッシャと軽く、振り向いた姿を写真として一枚残されてしまった。

背景には一度は見てみたいと望んだ藤の花がいて、

周りには誰もいないような錯覚を感じてしまっていた。

そんなことは決してない筈なのに、

腰のところまで伸びている花房が周りの者を隠してしまったからなのだと気がついたのは、

ご婦人のカメラを受け取って、二人を写してあげた時だった。

話し声も、笑い声もない写真の中に入りこんだような気がしただけなのだ。

二人は喜び、短い間娘として傍にいた私に極上の笑顔をプレゼントしてくれたのである。

「加奈さん。肩に藤の花びらが・・・」

そう言って私の肩から、どの花房から舞い落ちてきたかわからないけれど、

淡い紫色の花びらをひとつ、私の掌の上に渡してくれたのだった。

小さな花びらに思わず

「・・・・きれい」と呟いてしまう。

少しの間それを見つめ、そっとティッシュにくるみ

鞄の中に入れてある本の間へと入れたのだった。

「どうなさるの?」

婦人が不思議そうに訊いてくる。

「私の旅の思い出に・・・この花びらを押し花にして残すんです」

「そう・・・」

婦人は顔をほころばせて続けてこう私に告げたのだった。

「なら、きっとあなたは私とここで出会ったことを忘れないでいてくれそうね」

麗しい笑顔で私を見つめ、その瞳にはまたも薄っすらと涙の輝きが見えたのだった。

「どうされました?泣かないでください」

心配して私が肩に手を置くと、婦人は・・・

「いえ、あなたとここで別れなければならないかと思うと寂しくて・・・」

思わず息をのんでしまった。

私の事を娘と思いこんで言ったのではないと感じた言葉だった。

ほんの数時間一緒にいただけの私にそこまで思い入れてくれているご婦人に、

私もなんだか切なくなって・・・・

「今度はもっとお時間のある時にお会いしましょう」

そう提案した私に二人はにこやかに微笑んだのだった。

しかし、二人は小さく首を横に振り、

「いいえ。今のこの時で充分ですよ。あなたというお嬢さんがどんな方なのか判りましたし、きっとあなたがそう言ってくれるという事も判っていました。今は・・・あなたの時間を私たちにいただけただけで満足です。優しい方だということが判ればそれで・・・・。あなたに一つ憶えておいていただきたいことがあるの・・・。藤の花言葉をどこかで調べてくださいな・・・・それが私達の想いですから・・・・」

どこかその笑顔を遠くに感じてしまったのは何故だったのか・・・・。

そう言われても私は連絡先をご婦人に預けたのでした。

「必ず連絡をくださいね。私もいたします・・・・」

そう言って同じ電車に乗り、私はいつの間にか眠ってしまったようです。

そして・・・終点で起こされたのです。

・・・・・・・・。

終点で起こされた?

どうして?終点に着いたから藤の花を見に行ったのに・・・

これでは、まだ藤の花を見ていないようではありませんか・・・

私の記憶の曖昧さは仕方ありません。

だって、この話は1年前の出来事なのですから・・・・

でも・・・それにしても曖昧すぎる・・・・

そしてその時、起こしてくれた彼と知り合いになり、

恋愛をして、初めて今日彼の家に招待されたのです。

そこで見つけたのが彼のご両親の写真でした。

棚の上に置かれ、白いレースの上に写真立てはあり、

その中で笑顔の夫婦が写っている。

淡い色の花びらと濃い紫のなんと絶妙なグラデーション。

その花をバックに二人はカメラに向かって幸せそうな顔をしている。

その後ろの花は紛れもなく、あの日私と一緒に訪れた藤の花でした。

そして・・・私が写した一枚だったのです。

そう、そうです。

あの夫婦連れが写真の中にいたのです。

彼のご両親でした・・・。

本当に驚きました。

彼のご両親と私は出逢っていた・・・。

「ご両親は、今日どこかにお出かけなの?お会いしたいわ」

写真を見た私が急いでこう彼に告げると、彼は・・・

「忘れたの?言っただろう。俺の両親は三年前に藤の花を見に行った帰りに事故で死んだんだ」

「・・・・」

三年前・・・・?

「嘘よ・・・そんなの。だってこの写真は・・・」

私が撮ってあげたのよ。

声に出して言えませんでした・・・。

なぜなら、彼が私の声よりも早く、

「あぁ、その写真は俺が亡くなる前に撮ってあげたんだ・・・。おかしいだろ?同じ花をもう一度見たくなって見に行った帰りに二人とも亡くなったんだ。見に行かなかったらこんなことになりはしなかったのに・・・」

そう悲しそうに写真立てを見つめる瞳に、

私はそれ以上言葉を持つことはできませんでした。

あなたのご両親と私、去年逢っているのよ・・・。

さすがに口に出しては言えなかった。

そんな話をしても信じてはくれないだろうし、

あの記憶の曖昧さの意味がやっと今わかったのですから・・・

あれは、きっと夢だったのだ。

彼のご両親が私に見せた夢だったのだ・・・。

その日、私はいつまでも二人の写真から目を離すことができませんでした。