<姉妹・4 理由>

俺が涼香の死を調べるのに教職という立場は大いに役に立っていた。

確かに涼香は自殺という終り方をしたかもしれない。

だが、日記を読みつつも俺の中で

まだ涼香が自ら死を選んだとは思いづらかったのだ。

ただ認めたくなかっただけなのかもしれない。

でも、あの日記に書かれていた、

「私が死ねばいいのでしょうか?」という悲しい想いが

涼香自身が導き出した答えだとは考えにくかったのである。

もしかしたら誘導されて、屋上から飛び降りたのだとしたら?

言葉の暴力と肉体への暴力から逃亡させる為に、

同級生である二人が、涼香を死へと誘(いざな)ったのだとしたら?

自殺ではなく、これが殺人だったとしても

俺が二人を憎むことに何ら変わりはないのだということ。

自分に仕向けられた数々の仕打ちを、

涼香は涙を日記に移し込みながら書き綴っていったのだろう。

ところどころ涙の痕が残されていた。

大きな涙の雫が落ちた日記の最後のぼやけた文字が心を締め付けた。

絶対に殺す。

妹の彩香に誓った俺の心に偽りはない。

だが、本当にそれでいいのだろうか?

そう悩んだことも嘘ではない。

子供に教えていかねばならない教師が人を殺す計画を企てている。

その天と地とも違う発想を日々続けていくには、ものすごく精神的強さを必要とする。

日々の楽しい事に心奪われることなく、

誰も愛さない氷のような感情を持って生きていかねばならないのだ。

涼香を失い、教師としての立場に押し潰されそうになりながら

復讐だけを成し遂げる鬼になるには、俺自身にもきっかけが必要だった。

あの二人を殺すという鎖を心に巻きつけても、

完全に鬼にはなり切れない人としての部分があるせいで、

踏み出せない一歩があるということ。

人が人を殺すという、常識では考えられない行為を成せない裏には、

やはり「理性」が働いているからなのだろう。

その理性を払拭するためには直接あの二人に逢う必要があったのだ。

だが、それは涼香が死んだすぐではいけない。

彼女達が涼香の死を忘れた頃に行うのがベストだろう。

なぜなら、その方がよりリアルに涼香の無念を見る事ができる気がしたからである。

涼香の死を悼まない者達から語られる真実を俺は待ち望んでいるのかもしれない。

生きる事に意味のない日々と、

憎しみを抱き続けることの難しさ。

その両方に挟まれ苛(さいな)み自ら命を断とうと思った事もある。

だが、待ち望んだ瞬間はやってきたのだ。

それは涼香が亡くなってから丁度四年が経とうとした時、

卒業生である篠塚亜希子が高校にフラリと立ち寄ったのが始まりだった。

彼女たちに逢わなければいけない。

そう急いた時もあったが、不自然な出会いは相手を刺激し警戒されるに決まっている。

だから俺は偶然を演出したかった。

彼女たちが卒業してからその高校に赴任してきた俺は、

彼女たちからすれば名前も何も知らない、ただの高校教師でしかない。

彼女たちを信用させ、教師ではなく「男」の姿をみせたとしても、

別に普通の恋愛の始まりのように見えてしまうのだろう。

それを、まず作り出さなければならなかった。

涼香の死の真相を突き止めるために、已む無く愛してもいない・・・、

いや、逆に憎み切っている女に手を出さなければならない現実。

頭がおかしくなりそうな事態だというのに、

俺はどこまでも冷静で、まるでノルマをこなしていくサラリーマンのように

篠塚亜希子と男女の関係を深めていったのだった。

亜希子を抱くたびに自分の身体から汚い煤(すす)がこぼれ落ちていっているような気がして、

その煤が死んだ涼香をも汚しているような気がして、

俺は何のために何をしているのか判らなくなっていった。

亜希子を抱いても愛は生まれず、愛おしいとも思わない。

目的を見失いかけ、亜希子との不毛な関係に終止符を打つべきか考えあぐねていた時、

またも運命の歯車が俺を導いていったのである。

「満谷さんには話しておかなければならない事があって・・・私、あなたとはこの先も一緒に生きて行きたいってそう思っているの。だから告白するのだけれど・・・私、高校生の時に取り返しのつかない事をしてしまっているの。だから本当は教師という聖職にはついてはいけないのかもしれない。でもね、その事があったから私、教師になって今の子供たちの心の闇を失くしてしまいたいの」

「何を言っているんだ?」

本当は彼女が何を話そうとしているのか気がついている筈なのに、

知らないフリをして、彼女が自分から唇を開くの見ていた。

「高三の時に・・・クラスでイジメがあって、同級生が学校の屋上から飛び降りたのよ」

「・・・・もしかして今、俺が通ってる学校で?君は卒業生だったよね」

亜希子は静かに頷いた。

「事件になって警察やその当時・・・新聞にも載ったわ」

「あぁ、思い出したよ。そう言えばそんな事があったよね」

「えぇ。あの時、本当はあの子を死なすつもりなんて全然なかったの」

「・・・・・・」

どういうことだい?

俺は目だけで表情をつくり、亜希子はその目に騙されて語り出していく。

「本当は・・・誰もあの子をイジメたくなかったのよ。でも、誰もそのことを口にできなかった。口にしてしまえば自分達も同じ運命にあわされてしまうから・・・・」

「だから、黙認した・・・」

「そうよ。卑怯だと思われても仕方ないけれど、誰も好きでそんな対象になりたいとは思わないわ。」

「確かにそうだ」

口では肯定したが、心の中は嵐のように荒れていた。

お前達が浅はかなために涼香は傷つき死んでいったのだ。

亜希子を庇う言葉を吐き出しつつも、涼香の無念が俺の心を覆い尽くしていった。

そして亜希子の告白は続いていく。

「本当はあの日、あの子をみんなで捜したのよ。でも見当たらなくて。そしたら、屋上から飛び降りたって・・・もう、びっくりして・・・」

そう涙ながらに話す亜希子に視線を落として、

一瞬だけ、もしかしたらこの女は本当に涼香の事を心配していたのかもしれない。

そう思ってしまっていた。

でも、すぐに打ち消したのは、彼女が語る言葉に重みがなかったからだろう。

涙は流しているけれど、どこか白々しい、そんな三流役者のような涙も気に障った。

だから、彼女の告白をそのまま黙って聞くことにしたのである。

亜希子の嘘を聞き続ける事で、より深く彼女のことを憎めると感じたから。

心の中でそう、ほくそ笑んで俺は亜希子の声を聞き続けた。

「イジメの発端は、夏休みにあの子を見かけたからなの。彼氏みたいな人と一緒だったわ。それが気に入らないって話になって・・・。誰ひとりとしてあの子に彼氏がいたなんて話は聞いていなかったし、その事を話そうとしないあの子に苛々したの。ごめんね。話せないって言われたって。親友だと思っていたのに、って由里が言うものだから・・・」

ここで初めて田宮由里の名前が出てきた。

俺と会っている時に名前を出すとは思っていなかったから驚いた。

共犯者の名前を軽々しく口にするところが、まだ子供だと感じた。

たとえそれが、亜希子の策略だったとしても、そんな話に俺が乗る筈がなかった。

友人の名前を口にさえすれば俺が君のことを信用するとでも思ったのだろうか。

可笑しいよ、亜希子・・・・・。

中学の教師が高校生の彼氏だなんて、そんな話をどうして涼香ができると思うのだろう。

できるわけがない。

まぁ、涼香の男が俺だったということを知らないのだから仕方がないが・・・・。

・・・・・。

ここで一つ、気になった事を思い出していた。

おや?もしかしたら・・・これさえも嘘だったのかもしれない。

そう思ったら際限なく疑いの目は輝きを増していったのだった。

もしかしたら、亜希子は俺の事を知っていて近寄ってきたのだろうか。

だとしたら、なんとなく見えなかったものが見えてきたような気がした。

俺が罠を張ろうと思っていたと同時に、

亜希子も俺に罠を張るつもりだったとしたら?

あの出会いが計算されていたものだったとしたら?

すべては仮説でしかないが、

その方がなんだか、この女に似合うような気がしてきたのだった。

俺を涼香の男と知って近寄り、惑わすために現れたのだとしたら、

そのことを暴くのには時間がかかるかもしれないが・・・

亜希子が、自殺した少女が自分達の犯した罪のせいで死んでしまったと理解していて、

それでも平気な顔で卒業した学校の門をくぐったのなら普通ではないし、

もし、それが明らかに故意でなされたものだったとするのなら、

亜希子が母校に現れた真の目的は、母校に対する愛着精神などではなく、

俺を破滅に導くために現れたのだと、

そう思っても間違いではないだろう。

それなら、これからは亜希子の言動に注意していなければならない。

この女に俺自身が盲目にされることなく、

確実に俺が殺さなければならないのだから・・・。

罠を張られて嵌まるのは俺ではなく亜希子を嵌めなければいけないのだから・・・。

心配そうに、そして愛情を全面に押し出して亜希子のことを見つめていたら

亜希子は潤んだ瞳で可愛く見せかけ微笑んでくる。

まるでその仕草は、俺の事を騙すことができた優越感に浸っているかのように見え、

高校の時に起きた悲しい事件を懺悔しつつも、

どこかでやはりその事を馬鹿にしているようにしか見えない笑みだった。

亜希子のミスはきっと俺に涼香の事を話したことから始まっていたのかもしれない。

きっと、何も触れてこなければ彼女に対してこんなに疑念を感じなかっただろう。

そう俺がすべてを疑い出した時から歯車はまた回り始めたのである。

俺はどこまでも亜希子を疑い、彼女の言動をチェックするようになっていった。

まず、亜希子の携帯に照準をあわして、

彼女のメールを送受信分全て盗むことにしたのである。

やり方は簡単だった。

ただ、彼女に睡眠薬入りの飲み物を与えればいい。

知り合いに医者がいたから、それは容易に準備ができていた。

そして、すべてが整ったところで亜希子に飲ませることに成功した俺は

ふらつく足取りの彼女をホテルへと連れ込み寝かせ、

彼女のメールを俺のmicroSDへと全件コピーしたのである。

受信・送信BOXから全てのメールを抜き取り、

俺は自分の携帯からそのすべてを見る事ができた。

やはり、思ったとおりだった。

亜希子は、涼香の男が俺だと知って近づいてきたのである。

高校生と身体を重ねた不埒な教師を地獄へと・・・

そう題されたメールから始まった内容は俺の中で思い描いていたものとほぼ同じだった。

大学生となった亜希子が俺を誘惑し、

信用させ、涼香との事を聞き出し、それを今の高校に密告する。

もちろんそれは文書でしてはいけない。ちゃんと俺の肉声でなければならない。

きっとボイスレコーダーでもどこかに忍ばせているのであろう。

自分が自殺した少女の話をすれば、

俺が簡単にその少女を愛していたと言うとでも思ったのだろうか?

情に流されて、ベラベラと喋るとでも?

男が女の涙に弱いのは、その女に惚れている時に限るだろう。

最初から罠に嵌めるために逢っていた俺が、そんなずさんな作戦に嵌まるわけがない。

現に、こうやってこの女からまんまと証拠をいただく事に成功している。

おかしくてたまらなかった。

この女たちはきっと予期できなかったのだろうから・・・。

俺が涼香を死に追い詰めた二人の名前を知っているなど、どうして予測できただろうか。

彼女の日記は俺の手元にあるのだし、

涼香の同級生は巻き込まれるのを嫌がって口を割ろうとは決してしない。

イジメていたのは彼女たち二人。

でも・・・真の加害者はクラス全員なのだから。

だから、亜希子の最大のミスは俺の前に姿を現したことから始まっていたのだと思う。

名前は知っていても姿が見えなくては、復讐は成し遂げられない。

偶然を作り出すことができなくて、諦めかけていたところに亜希子が現れ、

糸は繋がってしまったのだ。殺されるために姿を現した馬鹿な女。

さて、どうしようか・・・・。

そう冷静に考えながら、睡眠薬で寝かされ、

ベッドに横たわっている亜希子を俺は静かに見下ろしていた。

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<姉妹・5 鬼神>に続く。