<姉妹・2 戦慄>

あれから五年という月日が経ってしまいました。

篠塚亜希子という女性の死を、どうして数年も経った今思い出したのか・・・。

それを書かねばなりません。

いいえ、その前に「あれからの私」を書くのが先でしょうか。

そう、そうですね。

あれからの私は、色々なところに問い合わせたりして満谷の行方を捜したのです。

まず私が卒業した中学校に電話を掛けました。

世話になった教師を捜しているので転任先を教えてほしいと頼んだのです。

すると、調べるのに時間がかかってしまったのか長い間電話を待たされ、

「県立の高校に転任されました」という簡単な返事が耳に流れてきました。

いつ頃ですか?

こう食い下がると向こう側の女性は、

「あなた達が卒業してから四年後ですね」と親切に教えてくれました。

ですが、その先はぷっつりと途切れてしまったのです。

聞いた県立高校に問い合わせても、

「三年前に辞められました」と言われる始末で、

辞めたあとのことは知らないのだと言われてしまいました。

こうなると手がかりもありません。

諦めようかと、溜息を吐いた時・・・矛盾を見つけたのです。

今の電話の内容と、満谷が私へ言った言葉にです。

事務の女性が言ったのは三年前に満谷は辞めたということ。

しかし、満谷はAさんが高校に赴任してきたのは二年前だと言ったのです。

なら、この二人に接点はなかったことになるでしょう。

それなら、満谷がAさんと知り合えるわけがないのです。

もちろん同じ職場のわけがありません。

この時点で満谷の言葉は嘘である事が判ります。

なら、なぜそんな嘘を吐いたのか。

そしてその嘘を私に信じ込ませたのは何故なのか。

そのすべてを解こうとした時に、私の生活に変化がありました。

父が急死したのです。

本当に突然でした。事故だったので仕方がないのですが・・・、

他人のことに気を配る余裕はこの頃の私にはありませんでした。

通夜から葬式、四十九日が過ぎ、瞬く間に一周忌。

母と二人三脚で寄り添い支え合いながら生きてきた一年でした。

その一年が過ぎると、もう私の中に篠塚亜希子という名前は存在していませんでした。

薄情かもしれません。そう言われても仕方がないと思います。

でも、生きる事に挫折した母を傍にしながら、他の事に執着する余裕がなかったのです。

なぜなら、母まで亡くしてしまったら私には何も残らないのですから。

それこそ、生きる理由が無くなってしまう。

それだけはどうしても避けたかった。

私には母が、母には私がいることで生きていく糧(かて)になりたかったのです。

それからなんとか、折れそうになる心を気力で支えてきたのです。

そしてあれから、五年という月日が流れてしまいました。

五年経ったいま、どうしてこんな事を思い出してしまったのか。

それは・・・同窓会があったからなのです。

中学の時の同窓会でした。

私は中学二年生の時に転校してきたので、

同窓会という会合に出席するのは、これが初めてでした。

みんな大人になっていましたが、でもやっぱりあの頃の面影は残っていました。

懐かしそうに笑い合い、話題はあの頃へと遡ります

あの頃は誰が誰を好きだったか、抱いていた夢が何だったのか。

そして現状がどんな風になっているのか。

お互いの腹の中を探り合いながらの近況報告。

そんなじっとしていられない状況の中で、

遅れて来た友人がドキッとした事を話し始めたのです。

「三ヶ月前に満谷先生に逢ったわ」

思わず耳がピクっと動いたかと思いました。

「へぇ」

相槌をうちながら、その先を聞き出したくて身を乗り出しそうになりました。

忘れかけた名前を思いがけない人から聞いたものだから動悸が早鐘のように鳴っています。

「それで?」

誰かが促すと、話は始まりました。

「この話をしようかどうしようか悩んだんだけど、しちゃうわね。満谷ったら女の人と歩いてたのよ。三十半ばぐらいの女の人と楽しそうにしてたんだけど・・・その女の人・・・先日亡くなったのよ」

同級生が声を上げる前に私の呻き声が先に漏れてしまいました。

一斉にみんなの視線が私に集中する中、

話をしている友人に先を進めてほしいと私は頼みました。

「それが可哀相な亡くなり方でね。電車のホームから迫りくる電車に突き押されたのよ」

一瞬、息詰まった後で疑問が飛び交います。

「どうして亡くなった人が、一緒に歩いている女の人だって判ったの?」

私が抱いた疑問をそのまま隣の友人が口にしました。

「だって私、その次の日も満谷と会っているその女の人を見ているのよ。それに偶然にも私、その女の人が亡くなった時同じホームにいたのよ」

目を丸くしたみんなの中で唯一私だけがその先を知りたい声を上げていたのです。

「それで?その場面には満谷はいたの?」

「ううん。それがその時は女の人独りだけだったの。だって一緒だったら電車に轢かれた女性を目の前にして、その場から消えることはしないと思うわ」

頷きながら聞いているみんなを尻目に、

私は満谷の周りで死んだ女性が二人になったことに気分が悪くなりました。

たとえ、篠塚亜希子の死が満谷と関係がなかったと仮定したとしても、

五年後に同じように満谷の近くで女の人が死んでいる。

その不可解さに私は眉間に皺を作ってしまっていたのです。

「どうした?」

心配した友人が私の顔色の悪さを指摘して覗きこんできます。

「大丈夫よ。ちょっと気分が悪くなって・・・」

まさか、あの時の事をみんなに話せるわけがありません。

透明な水に黒い泥水を混ぜられたような不快感が私の中にはありました。

少し危険かと思いましたが、自分の中で疑問を払拭したかったのです。

だから友人にもう一つだけ訊ねてみました。

「それから満谷には逢った?」

一番訊きだしたい疑問でした。すると友人は・・・

「それが、見なくなってしまって。それで、ちょっと気になったから私なりに調べてみたんだけど、五年前にその女性の親友が死んでる事が判ったのよ。ほら、私の彼がその亡くなった女性と同級生なのよ。っで、その彼がポツリと『これで三人目だな』って言ったの」

三人目?

「そうなのよ!亡くなったの三人目なんですって。一人は高校三年生の時に亡くなっていて、二人目が十年前。そして三人目が三ヶ月前。ねぇ、どう思う?この話・・・」

「どう思うって言われても・・・」

困惑しているみんなからは答えは出てこない。

「そんなの偶然じゃない?」

「三人も亡くなっているのが?偶然?」

面白そうに話しているみんなの中で私だけが独りかたまっていました。

「ねぇ、その五年前に亡くなってる人の名前って判る?」

独り静かに真剣な顔をして一つの符合を恐ろしく感じた私が声を発しました。

「えぇ。判るわよ。彼から聞いてメモしてあるから」

そう言って鞄の中からメモ帳を出してきて友人は名前を口にしたのです。

「えっと、篠塚亜希子さんっていうらしいわ」

その名前を聞いて一瞬、私の身体の血が逆流したかのように感じたのです。

鳥肌が立ち、寒いものが足元から忍びあがってくるようなそんな感覚。

「どうかした?」

ううん。首を振るのがやっとの状況では友人に訝(いぶか)しがられても仕方ありません。

それでも、やはりあの事は言えませんでした。

先生に口止めをされたから?

いいえ。違います。

いよいよ篠塚亜希子の死が普通の死ではなかったのかもしれないと思ったからでした。

三ヶ月前に亡くなった女の人も満谷の知り合いで、

その人は迫りくる電車へと突き押された、確実な殺人事件。

ならば篠塚亜希子もそうだったのではないかという薄気味悪さ。

そう思ったら高校生で命を落とした少女のことを知りたくなったのです。

「その最初に亡くなった高校生はどんな風に亡くなったの?」

「やっぱり気になるでしょ?」

友人はこの話に食いついてきた私に「ほうらみろ」と言わんばかりの顔をしてみせる。

一緒に話を聞いていたみんなも頷きながらいつの間にか立ち話で円陣を組んでいた。

「どうやら自殺らしいのよ。彼が言うには、学校の屋上から身を投げたらしいの。自殺の理由は・・・彼、言いにくそうにしていたけど話してもらったわ。当時、その女の子はクラスの中でイジメにあってたらしいのよ。っで、我慢しきれなくなっての自殺ですって」

ニュースや新聞で取り上げられる事柄が友人の口から出てくると妙な気分になってしまう。

別に自分達がそれをしたわけではないというのに、

この話題に対しての興味が萎(しぼ)んでいったのだ。

「そうなんだ・・・・」

こう言い淀みながら違う内容へと話を変えようという雰囲気が流れ始めている。

「そうよね。その自殺と今回のこととは何の関係もないわよね」

この話題に最初に触れてきた友人が収拾しかけた時、

「そうかしら?」

数人いる中で私以外の人物が否定の意を唱えたことに驚いたのです。

「高校の時に自殺をして、数年後に一人が亡くなって、そしてつい最近三人目が殺された。って、こんなのどう考えても変でしょ?私達の中で、もしこんなことが起きたら異常なことだって思うでしょ?あなたの彼氏だって変だって思ってないのかしら?ほら思ってるんでしょ?じゃ、やっぱりおかしいのよ」

目を背けようとした事実がやはり背けてはいけないものだったのだと再認識してしまう。

高校生は自殺。そしてつい最近のは殺人。

なら・・・篠塚亜希子はどうやって亡くなったのだろう。

ふと浮かんだ疑問は打ち消した方がいいだろう。

「ねぇ、二番目に亡くなった方はどうやって亡くなったの?」

確かにそうだわ。そんな声が漏れだしている。

「あぁ、二番目ね。それが、自殺なのか何なのか判らないのよ。でもね。妙な話を聞いたのよ。亡くなる数日前に彼女へ手紙が何通も送られてきたんですって。私の彼も噂を聞いただけだから、どこまでが本当なのか判らないそうなんだけど。その手紙は彼女の過去が書かれていたらしくて、まさにそれがいまから起きるようにして書かれていたんですって。悪い男達に騙されていた過去。その内容はちょっとここでは差し控えなければならないけれど・・・。その手紙が彼女にだけではなく、勤めていた教師全員に送られたらしいの。もちろん、彼女には当時付き合っている男性がいて、同じ学校で働いていたものだから、その彼にもバレちゃったらしいんだけど。どうやら内容はよっぽど酷かったらしくて、自殺なのか事故なのか判らないらしいの。エッ?何処(どこ)で死んだかって?えっと、歩道橋の階段ですって。階段を踏み外したのか、突き落とされたのか。それは判らないそうよ」

話の最期の方は首を振りながら友人は溜息とともに締めくくっていた。

まるで見たように語る友人の口調に、

その光景を私は思わず頭の中で思い描いてしまっていた。

あの白いブラウスを身に纏(まと)っていた女性が、顔に苦渋を滲ませていて、

零した涙の痕が頬に刻まれ、そのまま天へと召される姿。

スローモーションのようにゆっくりと天を仰ぎながら地面へと叩きつけられ、

最期に見た映像が何であるのか。

もしかしたら落ちていく姿のまま、手は何かに伸ばしていたかもしれない。

階段の上部にある何かに・・・。

そして墜落。

その薄れゆく意識の中で誰にも聞こえない声で何かを口にしたかもしれない。

何か・・・。いや、自分を突き落とした犯人の名前だろうか。

犯人。もしそれが本当にいるのであれば、予想はつくだろう。

私に、彼女への手紙を書いてほしいと言った人物だ。

今、友人が言った言葉が本当であるとするならば、

私が書いたあの手紙の内容は五年前に彼女に起きることではなく、

既に起きていたことだったのだ。

なら、なぜその本人が秘密にしておきたいような内容を満谷が知っていたのか・・・。

それは・・・

これ以上は思い描くことさえも恐ろしかった。

こめかみに手をあてて行き過ぎた妄想に歯止めをかける。

「大丈夫?顔色さっきから悪いけど・・・」

友人が心配そうな顔をして覗きこんでくる。

「大丈夫よ」

短くそう言っても胸中は穏やかではなかった。

やはり、篠塚亜希子も殺されたのかもしれない。

そう思ったら彼女が亡くなってからの5年間、

何もせずに生きてきた自分を恨めしく感じた。

もしかしたら、あの時満谷を見つけ出して問いかけていたら、

三ヶ月前の事件は防げたかもしれない。

そして、満谷に問いかけたいことがもう一つある。

どうしてあの時出逢ったのが私だったのか。

あれは本当に偶然だったのだろうか。

あの時、私の目の前に現れたのが昔の教師の仮面を被った殺人者だったとするなら

私は出会いたくなったし、こんな悲しい事件を知りたくもなかった。

想定したことはないのだろうか?

私がもし不審に思ったらどうしようとか、あの手紙を今でも隠し持っていて、

満谷自身を脅迫するかもしれないという可能性を・・・。

どうして「事件を起こす」という想いを抱いていたとするなら、

なぜ第三者である私を巻き込んだのか・・・。

それを突き詰める事を今までしてこなかった私の頭の中は一つの答えを編み出していた。

まるで今日ここでみんなと会った事がすべて仕組まれているかのように

私が逃げていた事柄に終止符を打たせてくれたみたいで、

頭の中から霧が晴れていったのだ。

あぁ、そうなのだ。

きっと、そうなのだ。

あの人は最初から誰かに見ていて欲しかったのかもしれない。

自分がこれから起こすであろう事件を見ていて欲しかったのだ。

もしかしたら、止めて欲しかったのかもしれない。

いや、違う。

止めて欲しいという感情があるのなら最初からこんなこと始めはしなかっただろう。

やはり、この長い殺人をあの満谷という男は覚悟を決めて行ったのだ。

そう、これは誰が何と言おうと「殺人」なのだ。

そして、満谷はなにゆえ行ったのか。

二人を殺した理由は?

それを解明する手立てはなく、私の中でいよいよ謎は深まっていったのだった。

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<姉妹・3 秘密>に続く。