ペタしてね

<紺碧の輝石>

「今夜の月はキレイね」

そっと君は僕の隣で呟いた。

まだ、秋になったばかりの満月の夜。

その横顔が天高く煌めいている月を眩しそうに見つめていた。

僕たちはこの星に生まれて奇跡的に出会った。

こんなことを言うと君は笑うのかもしれない。

でも、考えてみてくれないか?

同じ星に生まれ、同じ時を刻み、同じ月を見ていること。

ほんの1年前はこんな時間が訪れるなんて思いもしなかった。

君には今とは別の人生があり、

僕にも別の守る人がいたから・・・。

僕と君が出会うこと・・・

それはほんの偶然がもたらした素敵な奇跡。

夏のスコールが僕をあの美術館に呼び寄せたのかもしれない。

今じゃ・・・そんな風に考えたりするんだ。

だってこの僕が美術館に自ら入るなんて考えられないものね・・・。

そう思うだろ?

傘も持たず雨に降られた身体を

ハンカチで拭いながら静かな館内を歩いて行く。

僕の足音だけが響き渡る。

引き寄せられるような別世界がそこにはあった。。

美しい絵画が並び、僕は一枚の絵に行き着いたんだ。

大きなキャンバスに描かれた油絵の月。

大人ひとりがすっぽりと隠れてしまいそうなくらいの大きな月。

君はその絵の前で、僕が隣に並んでも気がつかずに見入っていたよね。

そして僕もその絵に惹かれて君と同じように見入ってしまったんだ。

だが、ふと視線を逸らすと君の頬には透明な涙が伝い落ちていた。

いつしか僕は月よりもその涙に釘づけになってしまっていた。

そして僕のほうから君に声をかけた・・・。

「大丈夫ですか?」

涙を流していることにふいに気がついた君の恥ずかしそうな顔が今でも思い出せる。

照れて、指で涙を拭う君は僕にこう言ったんだ。

「この絵を見ていたらなんだか涙がでてしまって・・・」

そして、絵に向き直り、

「この絵から暖かいものを感じてしまって・・・郷愁っていうんでしょうか?帰りたいって・・・。家に帰るとか、そういう意味じゃなくて、あの頃に帰ることができたらっていう意味なんですけど・・・」

「あの頃?」

「えぇ、あの頃。今よりももっといい時間を過ごしていた頃」

「ふふふ」、と君は笑って名前も知らない僕にだからこそ、

少しだけ本心を見せたのかもしれないって今なら思えるよ。

あの頃の君はご主人のことで悩んでいたんだよね。

夫婦関係がうまくいってない家庭は沢山あるだろう。

同じような悩み、同じような理由で泣いて暮らしている女性が沢山いることも僕は知っている。

でもまさか美しい君が、ご主人の浮気のことで涙を流しているなんて

あの時の僕に思えるわけがないだろう?

正直、その時は君がなんで泣いていたのかなんて気にも留めなかったんだ。

でも、あの月の絵が気になって何度もあの美術館に足を運んだ。

そしたら・・・やっぱり君がいた。

君はずっと「月」を見ていた。

僕が気になっていたもの・・・

それは月の絵ではなくて君自身だということ。

絵を気にしているフリをして君を探しに行っていただけなんだ。

あの絵を見に行ったら君に会えるんじゃないか・・・

そう思った。

あの時、僕は君に近寄り華奢な背中をずっと見ていた。

月の中から女神が浮き出ているような錯覚。

この時僕は再度君に心を奪われたのかもしれない。

恋に落ちる速度なんて計ったこともない。

でも君に落ちていくのは自分でも驚くほど感じることができたし、

それを止めようとは思わなかった。

君に声を掛け珈琲を飲むのに誘い、それから僕は君の「知人」になった。

君の名前を聞いてから急速に「知人」から「友人」への階段を登っていく。

君は戸惑いながらも僕に心を開いていく。

その瞬間を君よりも敏感に僕は感じることができたんだ。

そして、君は僕に悩みを打ち明けてきたよね。

ご主人の浮気。

君は「疲れたの」と一言ポツリといった。

そこにすかさずつけ込んだ僕は卑怯者だろうか?

何回か会ううちに、君も僕に対する違う気持を発見していたのかもしれない。

「彼とは別れるわ」

そう切り出した君の手をギュッと握った僕の瞳の中に君は何を感じてくれたんだろう?

僕との未来?

だったらいいのに・・・

僕はこの頃までには付き合っていた彼女とも別れ、

ただ君のその言葉を待っていたような気がする。

ご主人と別れる決心をしてくれた君。

あれから、四季を共にして同じ月を見上げている僕と君がいる。

こんな不思議なことはないだろう?

少しはにかみながら僕は君の横顔を見続ける。

君は僕よりも年上で、しかも君は一度傷ついている。

その傷は僕には計り知れないけれど・・・

そんな君を癒せることができているだろうか?

君を愛おしいと思う気持ちに偽りはない。

あの時、あの美術館に入ったこと、

あの絵の前でとまったこと。

そして、君に出会ったこと。

僕にはそのすべてが奇跡。

今ではあの出会いさえも愛おしく思えるんだ。

変かな?「ロマンチストだね」って笑うなよ。

「何?」

横顔を見ていた僕に君が問いかける。

「いや・・・なんでもない」

そんなことを思ってる自分が可笑しくて苦笑してしまった。

「なぁに?やだなぁもう。」

年上なのにそう感じさせない君の可愛さも、

僕の前で見せる陽だまりのような暖かい笑顔もすべてが好きなんだ。

出会えてよかった。

本当に今そう思う。

僕と君のつながりを感じられる一つの瞬間がある。

きっと君は今この月を見ながら僕と同じことを考えてるんだ。

「ねぇ、月ってきれいだけど・・・」

ほら、きっと言うよ。

「想像してみてね。地球から見ている月も綺麗だけど・・・きっと、月から見た青い地球はもっと綺麗だって思わない?宇宙の中に青い宝石が煌めいてるような、そんなカンジ」

柔らかい微笑のあとにつづく君の言葉。

まさにこの瞬間。

僕と君とのつながりを感じる瞬間。

愛している人と同じことを想う、ただそれだけのこと。

でも、その単純な出来事も愛の前ではすべてが奇跡になる。

わかってはいるが「特別」なこととして捉えるのは仕方のないこと。

たとえ、君と出会うことが宿命だったとしても・・・

あの日、もし雨が降らなければ・・・

そして美術館に雨宿りしなければ・・・

君に出会うこともなかっただろう。

これからも、あの瞬間を感じて生きていきたい。

君と味わえる人生がある。

それを想うだけで僕は無限の宇宙を飛び、

宇宙の闇に浮かぶ蒼い星を見つめることができるんだ。

これからも・・・ずっと。