<雨音>
何よりも重く、何よりも深いこの思いをあなたは知らない。
隠してきた気持ちも喉元まで出てはくるけれども、本当のことは決して言わない。
なぜなら、世の中には言わなくてもいい事がたくさんある事を知っているから。
私の気持ちもその中の一つ。
あなたが私の友人になってから何年経ったでしょう。
私はあなたよりも8歳も年上で・・・最初は弟を見るような眼で見てました。
会社の同じ部署で働き、私の知っていることを全て教え、
成長していってくれる姿が頼もしく思えたときに、この恋は始まったのかもしれない。
ううん。もしかしたら・・・出会った瞬間に落ちていたのかもしれない。
恋をしてしまうと出会いさえも特別に思えてきてしまう。
そんな、普段は考えもしないことを思ってしまうことができるのが恋。
でも、あなたは私の気持ちに気がつかず・・・
自分の恋の話をしてきましたよね。
当然といえば当然。
私は自然にあなたと「友達」関係を作り上げていき、
そんな私にあなたは友人として相談を持ちかけただけなのだから・・・。
私はあなたに気持ちを知られるぐらいなら会社を辞めてしまえばいいとさえ思っていたし、
私の頑なな心にあなたが触れてくることは可能性として無いに等しかったのだから・・・。
だから、わからなくて当然なんだけど・・・
女の心は難しくて、そんな簡単にはいかないの。
あなたが話した恋の話にも簡単に傷がついてしまうほど脆い・・・。
これからも私はあなたの先輩でもあり、友人であり続けたいと思っている。
そう、思うことにしたの。
恋人になることは決してない・・・けれど、繋がりは持っていたい。
あなたはこれからも恋をするんでしょう。結婚もするかもしれない。
でも、女の友人はいても支障はないでしょう?
だって、友人なんだから・・・。
心に降る雨音に、身が引き裂かれようとも自分で決めたことだから。
けっしてあなたに心は明かさない。
たとえ・・・あなたが・・・
「俺のこと・・・ホントは好きでしょう?」
そう甘く囁いても明かしてはならない。この関係を崩しては生きてはいけない。
彼は私のことを女としては見てはいないはずだから・・・。
「どうしてホントのこと言わないの?」
何度目かのお酒を共にしたときに、思わず口から飛び出てしまいそうになる愛情。
蓋をするにも限度がある。
それ以上は聞かないで・・・。
震える唇。お酒が回ってしまうぐらいの激しい動揺が私を襲う。
「それで隠してたつもりなんだ?知ってますよ。俺のこと・・・」
そこまで言われて我慢ができなかった。
思わず立ち上がる。グラスの氷がカランと音を奏でた。
これ以上ここにはいることはできない。
あなたの声を聞いてしまったら、言わないでいた心が溢れて止まらなくなる。
「今日は帰るわ。お酒の呑み過ぎよ。早く帰りなさい」
そう年上ぶった台詞が震えていたのを、誰が聞いていても変に思ったに違いない。
逃げるようにして鞄を持ち、急いで店を出る。
このまま街の雨傘の波にのまれてしまえば、きっとあなたは追いかけてはこない。
追いかけてくるはずがない。
でも、本当は追いかけてきてほしいんだ。
本音が涙となって瞳からあふれ出る。止まらなかった。
ホントは好きだよ。
歩いていたのをやめ、両手で顔を覆って泣いている自分を隠した。
もう、涙なのか雨なのかわからない。
でも、私の中の「本当」は、
もう随分前から隠すことができなくなっていたのかもしれない。
大きく頭を左右に振って、心に終止符を打つべくあなたがいる店の方向に振り向いた。
もう、あなたの友人でいることはできない。
自分の気持ちに区切りをつけるために後ろを振り向いた私。
「やっと、振り向いた」
振り向いた後ろには同じく、ずぶ濡れになっているあなたが立っていた。
「あなたがこのまま振り向かずに行くのなら、俺は二度とあなたに言うつもりはなかった」
息せき切ったあなたの肩が大きく上下に動いている。
走ってきたの?私を追いかけて・・・?どうして・・・?
「俺は、あなたのことが好きだからあなたも同じ気持ちでいてれてるんだろうと思ってた。他に好きなやつがいるような素振りまで見せたのにあなたは無反応だし、しっかりしなければと思う程、あなたには俺は似合わないんじゃないかとか思ったり、真剣に悩んだよ」
そう急いで言ったあなたは息せき切って私の前へと一歩すつ近づいてくる。
雨は少しずつひどくなり、私の体は冷たくなっている筈なのに何故か寒さを感じなかった。
それは目の前のあなたの言葉を聞き逃すまいとしていたからかもしれない。
一歩、また一歩と踏み込むあなた。
「ホントに俺のことどう思ってるの?」
あなたがイライラしているのがわかった。
拳をつくって下唇を噛んでいる。
あなたが切羽詰まった時に見せる仕草。
「もう嫌なんだよ!いつまでもこんな風に『友達』を続けることなんかできないんだ。」
あなたの瞳が私を捉えたとき、私の中の全神経があなたの物になったような気がした。
空から降ってくる雨は激しい筈なのに雨音が全然耳に届かない。
そんな不思議な現象。
聞こえるのはただあなたの声。聞きたいのもただあなたの声だけ・・・。
「好きなんだ」
力強い告白に言葉が見つからず気が遠くなりそうになる私。
何もかもが信じられない現実に心が追い付かない。
「私はあなたよりも年上で・・・」
そう振り絞ってでた言葉は自分が一番気にしている部分。
大人の部分が心に自制をかける。
でも、あなたは声を荒げて、
「そんなことは関係ない!大事なのはあなたのホントの気持ちなんだよ!」
そう言い切ってくれたあなたの前で私は子供のように泣きだしてしまった。
今まで抑えていた気持ち。
絶対に言わないでおこうと決めた心の扉の鍵を今開ける。
「好き・・・・だ・・よ」
そんな私の小さい声を、あなたは聞き逃さずいてくれた。
「ほらね、やっぱり!『ホント』を隠してた・・・」
そう言って近づいて、大きく深呼吸して・・・
私の頬を両手で挟み、私に優しくキスをしてくれた。
雨は甘く、そして深く、二人を結びつける。
あの時の雨を私は忘れない。
あなたとキスを交わした後で耳に届いた拍手の嵐。
雨音よりも激しい喝采。
通行人が止まって祝福をくれたのだ。
あれから・・・1年。
私はあなたとこの日を迎えることができるなんて思ってなかった・・・。
二人で迎える神への誓いの日。
私は純白のドレスを身に着け、鏡の前であなたに寄り添っている。
ふと瞳を窓へと移すと・・・外はあの時と同じ雨が降っていた。
変わらない雨の風景。
雨は流れ土に還り雲へと変わり、そして今度は誰かの頭上に幸せを落としていく。
どうか・・・そんな雨があなたの上にも降りますように・・・。