⚠️この考察にはげんじぶに翻弄されることが大大大大大大好きな観測者による、超自分勝手な解釈が含まれます‼️もちろん、本人達を貶すことは絶対にしませんが(というか貶すところなんてない)、自虐的なところがたまにあるので、一応、なんでもOKな方のみの閲覧をお願いします。




まず、この曲がもつ世界観やメッセージ性について、題名から切り込んでみましょう。


パラノイドには「被害妄想、根拠のない不信感や疑念」などという意味があります。偏執病、パラノイア(周りが自分のことを批判している、貶めようとしているという妄想をしてしまうこと)と同じような意味です。ランデブーには「男女が待ち合わせして会うこと、デート」などの意味がありますね。フランス語の「会う約束」が語源の言葉です。


一曲を通してテーマになっているのは、きっとSNS社会やネットへの訴え。それは「パラノイド」という言葉に込められている気がします。自分の目で見たわけでもない、直接言われたわけでもない言葉に動かされる世間。もはや全員が「パラノイド」になりうる、というか既になっている可能性がある…このSNS社会への批判を、撮られる側のアイドルが歌うことにシニカルさが表れてるんですよね〜〜っ!彼らはあくまで撮られる側で、SNSを通して自分たちの存在を発信しているわけで。その彼らが、写真の中やSNSの世界に対して「パラノイド」を訴える。SNSに溺れている現代を嘲笑するけど、そのSNSは自分たちが世に出るためのツールで、必要不可欠なもので。上手く言えないんですけど、この永遠ループの感じがまさに因果応報、「原因は自分にある。」じゃないですか???????川谷さん、天才です。


あと、個人的な感動ポイントがもう一つありまして。「パラノイド」っていう英単語は、「I'm paranoid.」のようにスラング的に使うと「考えすぎだ」なんていう軽い意味になります。重苦しい現代への叫びをしながらも「考えすぎだよ笑」と軽く伝えるニュアンス。これを含ませているところが、どこか諦めながら笑ってる雰囲気を醸し出していて、またまたげんじぶのシニカルな世界観を感じました。


そしてそれに続く言葉が「ランデブー」。「パラノイド」とは雰囲気の違ったロマンチックな言葉です。「パラノイド」で、実際に見たり聞いたりできない上部だけのSNS、なんて嘲笑しておきながら会う約束という意味の言葉を掛け合わせる、、絶望で終わらずにまだ希望を見出しているのがいいですよね。SNSや画面の中に囚われた世界への嘆きを、ただ叫ぶだけじゃなくて「ランデブーをしようよ」と、最後は前向きにこちらへ問いかけてきます。政治家でも、よく批判だけして考えて終わりで今後に繋がらない人がいますが、その先を見据えていることは意志の強さを表しているように思います。批判で終わらないメッセージ、大好きです。




このテーマをひとつの観点として歌詞を見てみます。


SOSが小さすぎて見えない

極端な海に覆われて


ここで私がパッと思い描いたのは、インスタでの、いわゆる病みストーリーです。暗めの背景にちいさーーーーな文字で書かれているアレ。私自身実際に見たことはないのですが、「SNSあるある」などでよくネタにされていますよね。それを描写しているともとれる歌詞ですが、暗喩としてとるとまた別の意味にも感じます。単なる個人の思考にすぎませんが、SNSに叫ばれる言葉の中で、本当に取り上げなければいけない言葉は、どれほど取りこぼされているのでしょうか。いつだって話題になるのは受け取り手が楽しめる話題で、おもしろみがあるものや議論の余地があるものでなければ、人の目には止まらない。それなのにSNSにしか助けを求められない人がいて、重大なSOSを叫ぶ人もいる。流行しては廃れるという極端な波にその声は覆われてしまう…そんな現代のことを例えているようにもとれますね。


楽しそうに人の心を握りつぶす

波は高い

嫌になるけど今日もあちこちで


ここのパートは誹謗中傷について言っているのでしょう。「因果応報アンチノミー」でも「案外ポテチ咥えながらポチポチ」なんて歌詞がありますが、誹謗中傷してる側、炎上させている側は自分の快の追求のためだけにそれをしているだけで、楽しそうに人の心を握りつぶします。なんなら、自分がしているのは誹謗中傷だと思ってもいないような人もいますね。悪気のない悪ほどタチの悪いものはありません。それは海の波のように我々の力ではどうにもできないほど突発的で、大きな力を持つもので。嫌な言葉は常にどこかで発せられ、書き込まれ、誰かの目に入る、そんな描写でしょうか?


また、嫌になるけど今日もあちこちでは歌割りを無視して文面だけで見れば、違うようにも捉えられます。


になるけど今日もあちこちで

はい、チーズ

撮られて

満面のポーズを

悲しい顔なんて載せられないでしょ


何かあると写真を撮る、SNSにあげる。体験の記録がメインではなく、映える写真のために体験をするという逆転の現象、手段の目的化を示しているのではないでしょうか。私自身もそれをやっておきながら、その行為にどこか虚しさを覚えるパラドックスを抱えています。撮可のLIVEなんかも、外から見てみると、カメラに囲まれる推したちは、ペンライトや笑顔だけに囲まれる彼らよりも、どこか寂しく感じます。(これも個人の主観です。すみません。)SNSにとらわれるのは「嫌になるけど」「今日もあちこちで」上部だけを取り繕った写真を収めて、投稿する行為が行われている。私にはなんだか「はい、チーズ」が呪いのように聞こえてきました。そして「撮られて」としているところに深みがあります。「撮る」「撮ってもらう」よりも、被写体が少し嫌がっているようにきこえませんか?文字数的な問題とかもあるのかもしれませんが、「撮られて」という表現には、一方的に、強制的に写真を撮られるというニュアンスを感じます。撮っている側はノリノリなのか、相手を無理矢理撮っているのか、そこに関しての描写がないのがまた良くて、それによって違う解釈が可能になるんですよ。先ほど「撮られて」が撮る側に一方的に強制的に撮られているように感じると述べましたが、これはあくまで主観的に読み取った場合の話です。「撮られて」と感じているのが、第三者視点で、「あちこち」で行われている「はい、チーズ」「声の洪水の外側から叫んで」いるともとれるんですよ。「撮られてるな〜笑」なんてテンションで「悲しい顔なんて載せられないでしょ?」と嘲笑している。歌詞の流れを考えると後者の読み取り方が正しいような気もします。


パラノイドな頭の中まだシェイクしてないの?

いつまでも井の中の蛙でいたいの?

声の洪水の外側から叫んでも

聞こえないから意味がない


気付かないから意味がない


ここは割とストレートですね。少ししらべてみたところ、「シェイク・ブレイン」という、本に由来する言葉があるようで、先入観を捨てたり、発想の転換をしたりと、創造性や柔軟性を高めることを言うそうです。井の中の蛙は「井の中の蛙大海を知らず」のことですね。狭い視野のこと、世間知らずであることを指した言葉です。ここで言う「井の中」はSNSの中、「大海」は現実世界のことでしょうか。パラノイドな頭の中をまだ揺さぶってないのか?いつまでも囚われているのか??それをSNSの外側から叫んでもSNSの中にいるんだから届かないということですね。


はしゃぐ悪意の裏側

隠せてはいないよ


ここ、少し引っかかったのですが、「はしゃぐ 裏側の悪意」ではなくてなぜこの語順なのでしょうか?「はしゃぐ 裏側の悪意」だとしたら、褒めているように見えて貶している言葉や本人が褒めているつもりでも相手にとっては攻撃になる言葉、底に見えてくる悪意を連想しますが、あくまで主語は「はしゃぐ悪意」で、表しているのはその「裏側」です。私は、他人を批判している言葉に対して、そこにある自己嫌悪や劣等感なんかを見透かしていると読み取ってみました。あくまでも嘲笑しているスタイルは崩さないんですね〜。まぁでも、「はしゃいでいる、悪意(という)裏側」と取れば素直に「はしゃぐ裏側の悪意」と ≒ となります

笑(表現力が乏しく、分かりにくい文になってしまいましたすみません💦)


賢くないダブスタがしっかり浮き出る


賢くないダブスタが定着してしまうよ


恥ずかしながら「ダブスタ」もわからず、、、しらべたところ、「ダブルスタンダード」の略で、「相手や状況によって都合よく判断基準を変える」という意味だそうです。簡単に言うと「矛盾」でしょうか。似たような言葉には「二枚舌」「朝令暮改」「二律背反」が挙げられ、対義語には「首尾一貫」が挙げられています。世の中の矛盾に対して「賢くないダブスタ」と表現してるあたりがいいですよね。ここで言う「矛盾」は、今まで別に気にしなかったのにネットの発展や普及によって生み出されてしまった悲しい矛盾とでもいいましょうか。例えが難しいですが、

また別の解釈を置いておきます。ネット上には、別に理論に沿ってない賢くない意見なのに、さも自分が正しくて主役だと言わんばかりの主張をする人がいます。そもそもどれが正しいのかなんて、白か黒かなんてはっきり付けられないことが世の中の大半なのに、そこに無理やり切り込むからダブスタがうまれる。現実世界では言えないからネット上に流す己のスタンダート。そこに生まれる現実世界とのギャップは埋められないものがあります。どう取り繕っても「浮き出る」「賢くな」さに嘲笑しているのでしょうか。また、2度目の歌詞では「定着してしまうよ」と呼びかけている、嘆いているようにも感じられます。前段階で「意味がない」と言っておきながら、注意喚起するような文言に、どこか人間くささも感じて、私は好きです。


仮面を取らずにバイバイさ


仮面というと、何かを隠していることを連想させます。仮初の姿をいくらでも作ることの出来るネットで出会って、現実世界でランデブーしても、ネットと現実世界がごっちゃになってしまっているから、現実世界にネットが完全に侵食してしまっているから、最後の「バイバイ」まで「仮面をとらずに」終わってしまう。私には素面で自分をさらけ出して会うことに恐怖を覚える感覚が思い起こされました。


先に物知り顔に

後に知る君はいつ


先に物知り顔に

後に知る君もいつか


ネットで表面上だけ見る人に対する批判を感じました。いつでも情報の早いネットで、そこで信じて「先に物知り顔」をする人々に、「後に知るんだよ君は。」なんて、、、煽りとも受け取れる程の嘲笑です。「いつ知ってくれるの?」「いつかわかるよ」という表現の違いもおもしろいです。


荒れ果てたシステム

嘲笑うストーリー

メタにメタを重ねて

複雑になる


「システム」を単純にSNSが入り乱れている社会として捉えることもできますし、ネットがなかった時には存在しなかったマナーやルール、犯罪にいじめなどを示唆しているともとれます。

「ストーリー」を意のままに取れば、人のこと、人生までもを嘲笑う様子ともとますが、「ストーリー」というのをInstagramの「ストーリー」だと取れば、マウント合戦、下手な見えの張合いを述べているようにも思えます。

語源としては「超越した」という意味の「メタ」。ここではどのような意味でとるのが正解なのでしょうか?「暗喩」の意味の「メタファー」として比喩を重ねた「複雑になる」表現なのか、幾度も重ねられた社会の大量なデータを指す「メタデータ」なのか、「メタメッセージ」として、本来持っている意味とは別の観点から見ることを表しているのか、嘘の世界であることをあえてわかりやすく伝えるという手法の「メタフィクション」を意味しているのか、客観的視点の「メタ認知」のことか。どれでも意味を持たせることができそうです。ただ、嘘や客観的な視点を何度も繰り返してやりすぎてしまうゆえに自分でも分からなくなるくらい複雑になってしまう、この点に関してはどれでも当てはまります。共通項はここでしょう。


誰が誰を見ていて

誰に何を見られてる

そんなこともわからない箱の中で騒いでる


ここはもうドンピシャでネットのことを言っているでしょう。どこかにポンっと投稿してしまえば、それは誰に見られてるかなんて分からないし、誰が誰をみてるかなんて分かりようもないです。「わからない」というのは一番の恐怖です。もしもネットがなかったら、ここで指されている「わからない」は限りなくゼロに近いでしょう。目と目を合わせて出会い、話すという当たり前のことだけで「誰が誰を見ていて、誰に何を見られている」のかわかるのに、今はそれが大切にされていない、その怖さを文面で伝えてくれているように感じます。「箱」はネットのことでしょうか、それとも物理的に四角をしたスマホのことをさしているのでしょうか。どちらにしろ、「井の中の蛙大海を知らず」に似たものを感じますね。


パドリング最中の言葉

捕まえられないよ


歌詞が重なるところも出てきますが、ここでしか受け取れないものを抜粋してかきます。「パドリング」はサーフィンの動きです。波に乗る前に胴をサーフボードにつけて、両手で波をかく助走段階の動きのことです。まだ準備段階の言葉が捕まえられない、最初から最後まで伝え終わっていないのに途中段階で言葉だけ独り歩きしてしまって収集がつかなくなる様子でしょうか。炎上なんかは、物事や文章を一部分だけ切り抜くことによってできてしまったものであることがあります。見たり聞いたりしたことがあるでしょう。


このように、全体を通して現代のSNS社会への嘲笑や危機感、訴えがひしひしと伝わってきます、、。しかしながらこのき曲の後味は割とすっきりしています。この原因は、割とアップテンポで軽やかな曲調にもありますが、重苦しいモチーフを海や水の爽やかなイメージの単語を比喩として用いつつ紡がれた美しい詞にもあるんですね(ほんのりげんきみ構文)


「極端な海に覆われて」

「波は高い」

「いつまでも井の中の蛙でいたいの?

 声の洪水の外側から叫んでも

 気付かないから意味がない

「聞こえないから意味がない」

パドリング最中の言葉捕まえられないよ

デジタルの海水浴じゃ心は洗えない


美しいと思いませんか???SNSで繰り広げられる極端な流行りや思想の勢い。突然向けられる、いや、撮られる側の彼らからしたら常に向けられる批判という攻撃の波。SNSしか見てないのでは視野が狭いと主張してもその人はSNS上にいないんだから、SNSしか見ない人には届かないという無力感。自分は準備しているのにどんどん進んでいってしまう言葉(炎上にも似ているかもしれませんね)。SNSに癒しを求めても本当の意味で心は癒せないという主張。これら全て、水の比喩で表しているんですよっ!!日本語がわかる人間でよかった、この深みを味わえる母語でよかったと心から思いました。


……To be continued