こんばんは
遅ればせながら…ですが(^_^;)
嵐さんのアリーナツアーが、福井にて始まりました。
まずは、4/23・4/24の福井シリーズが無事に終わったことに、ホッとしております。
嵐さん、ジャニーズJr.の皆さん、スタッフの皆さん、参加された皆さん、お疲れさまでした。
まだ始まったばかりですが、参加できない者としては、ツアーが何事もなく終わっていけるよう、心より願うばかりです。
ある日、来週からツアーだと気づいて、えっ、もうそんな時期なの?と。
あれから、若干置いていかれ、忘れたつもりで毎日を過ごしてきたので、ふいに引き戻される感覚が不思議ですらありました。
意識しすぎたら、自分がしんどいから…
忘れないように、でも考えすぎないようにしないと、がんばれないし、日々の嵐ゴトを楽しめないから…
と、自分の中の想いのバランスを保ちながらの毎日であります。
以下、ちょっと長くなります。
ふれないまま、スルーしようとも思ったのですが、ちゃんと書かないと次に行けないと思い直し、自分の心の流れを置くことにしました。
ひと月前の言葉たちは…
そこに感情を置いただけの、非常に生々しく、雑なものでした。
書いてから、きっと誰もが、うまく反応できないし、声をかけづらいだろう…と思いながらおりました。
いつも感想を言ってくれる弟にすら、「あの文章、苦手」と言われました。
読まれた方々に対する配慮みたいなものが全くできず、非常に申し訳なかったと思います。
たとえ残念な結果になろうとも、いつもはちゃんと気持ちを整え、言葉を整えて書くのですが、どうしてあんな書きようになったのか、しばらくは、自分でも全く解析できませんでした。
しかしそれも、時間が経つにつれ、なんとなくわかってきました。
たぶん…
たぶん、決まったときの喜びが大きすぎたのだと思います。
アリーナツアーをやってくれること。
誕生日に近い日に、日帰りで行けそうなこと。
その喜びは、以前にも書いたとおりですが、そこから、これは非常に自分にとって意味がある出来事だ、と強く思ってしまったことで、それがかなわなかったことへの落胆が、自分の思っている以上に大きかった。
それゆえに、気持ちも言葉たちも整理できなかったのでは?
と思うのです。
そして、ここしばらく落選し続けている状況が加わって、いつものような前向きさを言葉にすることに、精神的に限界を感じてしまったのかもしれません。
当時の自分にはなりきれないので、本当はどうだったかは、今は推し量るしかないのですが…
ズーンと落ちこんだことは確かです。
以来、コンサートに関しては、気持ちがふさがった状態で、何かを言葉にする心境になれずにいました。
意識しなければ、それなりにうまく立ち回れるとは思うのです。でも、自分の生活のなかに、心のなかに、嵐さんは溶けこんでいるから…
一切考えない、ということはできませんでした。
雑誌を読んではほっこりし、テレビを観ては萌え(笑)、CMが流れれば凝視してしまう。
そして、なんだかうれしくなり、少しずつ元気が出てくるのでした。
コンサートに参加できなくて、寂しく、悲しくなるのに…
なんでなんだろう、と思いました。
そんなとき、ふと浮かんできました。
いろいろな嵐ゴトは、それぞれが独立しながら、植物のように地下でつながっているのだと。
太陽光や水やりなどで、茎が伸びて、花や葉が次々に出てくるように、良いことがあると、「にのあい萌え(笑)の花」や「この曲に胸が熱くなる!の葉」などが元気になる…
ちょっと表現がへんてこですが、そうやって、コンサートゴトで気持ちがふさがっていても、大丈夫なようになっているのではないかと思います。
もっとも、コンサートの代わりになるものはないですし、かなわないことで感じる悔しさや寂しさは、何をもってしても埋まりません。
それでも、こうして嵐ゴトを楽しめるのは、長い間地道に、CDをはじめ、テレビや雑誌で彼らの良さにふれてきたから、コンサートだけではない、そういう寄り添いかたがあるとわかってきたからではないかな、と思っております。
長くなったので、記事を分けます。
続きは(後)にて。
遅ればせながら…ですが(^_^;)
嵐さんのアリーナツアーが、福井にて始まりました。
まずは、4/23・4/24の福井シリーズが無事に終わったことに、ホッとしております。
嵐さん、ジャニーズJr.の皆さん、スタッフの皆さん、参加された皆さん、お疲れさまでした。
まだ始まったばかりですが、参加できない者としては、ツアーが何事もなく終わっていけるよう、心より願うばかりです。
ある日、来週からツアーだと気づいて、えっ、もうそんな時期なの?と。
あれから、若干置いていかれ、忘れたつもりで毎日を過ごしてきたので、ふいに引き戻される感覚が不思議ですらありました。
意識しすぎたら、自分がしんどいから…
忘れないように、でも考えすぎないようにしないと、がんばれないし、日々の嵐ゴトを楽しめないから…
と、自分の中の想いのバランスを保ちながらの毎日であります。
以下、ちょっと長くなります。
ふれないまま、スルーしようとも思ったのですが、ちゃんと書かないと次に行けないと思い直し、自分の心の流れを置くことにしました。
ひと月前の言葉たちは…
そこに感情を置いただけの、非常に生々しく、雑なものでした。
書いてから、きっと誰もが、うまく反応できないし、声をかけづらいだろう…と思いながらおりました。
いつも感想を言ってくれる弟にすら、「あの文章、苦手」と言われました。
読まれた方々に対する配慮みたいなものが全くできず、非常に申し訳なかったと思います。
たとえ残念な結果になろうとも、いつもはちゃんと気持ちを整え、言葉を整えて書くのですが、どうしてあんな書きようになったのか、しばらくは、自分でも全く解析できませんでした。
しかしそれも、時間が経つにつれ、なんとなくわかってきました。
たぶん…
たぶん、決まったときの喜びが大きすぎたのだと思います。
アリーナツアーをやってくれること。
誕生日に近い日に、日帰りで行けそうなこと。
その喜びは、以前にも書いたとおりですが、そこから、これは非常に自分にとって意味がある出来事だ、と強く思ってしまったことで、それがかなわなかったことへの落胆が、自分の思っている以上に大きかった。
それゆえに、気持ちも言葉たちも整理できなかったのでは?
と思うのです。
そして、ここしばらく落選し続けている状況が加わって、いつものような前向きさを言葉にすることに、精神的に限界を感じてしまったのかもしれません。
当時の自分にはなりきれないので、本当はどうだったかは、今は推し量るしかないのですが…
ズーンと落ちこんだことは確かです。
以来、コンサートに関しては、気持ちがふさがった状態で、何かを言葉にする心境になれずにいました。
意識しなければ、それなりにうまく立ち回れるとは思うのです。でも、自分の生活のなかに、心のなかに、嵐さんは溶けこんでいるから…
一切考えない、ということはできませんでした。
雑誌を読んではほっこりし、テレビを観ては萌え(笑)、CMが流れれば凝視してしまう。
そして、なんだかうれしくなり、少しずつ元気が出てくるのでした。
コンサートに参加できなくて、寂しく、悲しくなるのに…
なんでなんだろう、と思いました。
そんなとき、ふと浮かんできました。
いろいろな嵐ゴトは、それぞれが独立しながら、植物のように地下でつながっているのだと。
太陽光や水やりなどで、茎が伸びて、花や葉が次々に出てくるように、良いことがあると、「にのあい萌え(笑)の花」や「この曲に胸が熱くなる!の葉」などが元気になる…
ちょっと表現がへんてこですが、そうやって、コンサートゴトで気持ちがふさがっていても、大丈夫なようになっているのではないかと思います。
もっとも、コンサートの代わりになるものはないですし、かなわないことで感じる悔しさや寂しさは、何をもってしても埋まりません。
それでも、こうして嵐ゴトを楽しめるのは、長い間地道に、CDをはじめ、テレビや雑誌で彼らの良さにふれてきたから、コンサートだけではない、そういう寄り添いかたがあるとわかってきたからではないかな、と思っております。
長くなったので、記事を分けます。
続きは(後)にて。