3月5日と3月11日の、真ん中の日に。





その記憶は
その感覚は
少しずつ薄れていく
それは無意識のうちに
それは意図しないところで


楽しかったことも
悲しかったことも
あの景色も
あの表情も
ともに過ごした、そのイメージも


思いとは逆さまのほうへ
現実は転がっていく
薄れることで、何かから解放される感覚すらある


「ごめんなさい」
そんなつもりはなかったのに
「でも、許してほしい」
自分にすらコントロールできないのだ


こんなつらさからは逃れたい、という気持ちも
心の底にあったのかもしれない
でも
ふと思い出して痛むときもある
必要な痛みだと感じながら、それと向き合う


そこに残されたたくさんのこと
自分が受け継いだもの
それらから受けた何かの気持ち


年月を経て、記憶と感覚が薄らいでいくなか
そのうちのひとつでも大切にして
あとにつなげようとすること


小さく弱い自分には
それくらいしかできない
でも
それで十分とも思う


ただ、生きのびて
何かを受け継いでいくことで
どこかで喜んでくれそうな気がするのだ





かなりしぼり出した感はありますが…
ごく最近の気持ちでもあります。


少しずつ忘れていくことへの罪悪感と解放感が同居するなかで、何をどうすることが良いのかを模索する日々です。


助けを求めて振り返っても、そこには何もない。
だから、振り返らず、一歩ずつ歩いていくんだ。
父が、よくカラオケで歌っていた歌。
その歌詞が、心に響いてきます。