こんばんは
私事ながら、本日、ブログを始めてまる10年になりました。
さすがに10周年ともなると、
よく続いた…
と、しみじみ思います。
2005年10月30日。
日曜の昼下がり、勢いも手伝って、前のブログを始めました。
10年も続けるなんて、イメージしていなかったと思います。
ただ、思いを置く場所を作りたかっただけで、それができたこと、書けることがうれしかったのでした。
それからの日々。
良いこともたくさんありましたが、つらいこともたくさんありました。
5年前に、前のブログシステムが閉鎖になるとわかり、こちらに引っ越してきたのも、大きな出来事でした。
書くのがしんどいと思うときも、たくさんありました。
それでも、やめようと思わなかったのは、書くことが本当に好きで、自分が思うよりも自分に向いていると感じたからでしょう。
書くのをやめたら、自分を立たせてくれるものがひとつなくなる、と。
書くことは、私にとってかけがえのないもの。
そう思える自分へのきっかけは、何でもないような一冊のノートでした。
中学2年で出会った、担任の先生(女性)。
明るくて、かわいくて、生徒たちといっしょに、学校生活を楽しむ人。
そんな先生が、大好きでした。
その年の4月、先生は、クラスの生徒たちに、大学ノートを渡されました。
その名も「生活ノート」。
毎日でなくて良いから、書きたいときに自由に書いて提出してください、というものでした。
なので、宿題ではなく、やるかやらないかは生徒の自由、という、ゆるやかな約束にすぎませんでした。
それゆえに、書くのが面倒くさい人は、すぐにそれは途切れたはず。
しかし、もともと文章を書くのが好きだった私は、毎日のように、しかもかなりの長文を書いて提出していました。
書くのも楽しいし、先生からの返事を読むのも楽しいしで、ある意味、勉強よりも熱が入っていたかもしれません。
3年になっても同じ先生が担任だったので、都合2年間、書き続けました。
数は覚えていませんが、何冊も、何冊も。
今となっては、どこにあるのかわかりませんが、大切な宝物です。
あるとき、観たくて観た2時間ドラマの感想を、長々と書いて提出したところ、「この文章を膨らませて、コンクールに出してみませんか?」というコメントがついていました。
驚きましたが、思い入れたっぷりに書いた感想文だったので、すごくうれしかったと思います。
でも、引っ込み思案ゆえに気後れして、先生の呼びかけに上手く応えられなかったのです。
もしもあのとき、「出します」と言っていたら、どんな結果が出たのだろう。
私は、どう変わっていたのだろう。
ちょっと悔しいですね。
そんなことを考えても、もう、しょうがないのだけど、振り返れば、あれが、今のブログの原型のような気がします。
その後も私は、卒業式の前々日まで、生活ノートを書き続けました。
先生も、最後まで返事をくれました。
書きたくて、書きたくてたまらなかった。
思いを口にするのが苦手な私にとって、あのノートは、心豊かに、そして饒舌にさせてくれる存在でした。
そして今、私はここに文章を書いています。
思えば、あの生活ノートが、「書く自分」の原点となりました。
つらいとき、悲しいとき…
卒業のときに先生にもらった、
「書くことを大切にしてください」
という言葉が、私を支えてくれています。
ありがとう、先生。
今でも、強く感謝しています。
叫びたいくらい、うれしいときも。
怒りがこみ上げるときも。
泣くほど悲しいときも。
心はずむ、楽しいときも。
ほんのひとつでも言葉を置くことが、私には必要だ。
話すのが苦手な私。
誰かに話しかけるのも苦手な私。
でも、書くことは、子どものころから好きだった。
細々とでも、好きなことを続けていたら、いつしか、それが自分を支えるものとなる。
言葉は大切。
しかし、コミュニケーションは、言葉がすべてではない。
誤解を与えたり、知らないうちに傷つけたり、傷ついたりする。
言葉は怖い。本当は怖い。
でも、語らないと、表さないと伝わらないことがある。
だから私は、書く。
勇気を出して、書き続ける。
今までも、これからも。
前向きな「コトバノチカラ」を信じて。
いろいろあった、10年間の歩み。
読んでくださった方、見守ってくださった方、言葉をくださった方、そして、私自身へ、
たくさんたくさん、ありがとう。
今は、そんな気持ちでいっぱいです。
それでも今日は、通過点。
これからも、よろしくお願いしますm(_ _)m
私事ながら、本日、ブログを始めてまる10年になりました。
さすがに10周年ともなると、
よく続いた…
と、しみじみ思います。
2005年10月30日。
日曜の昼下がり、勢いも手伝って、前のブログを始めました。
10年も続けるなんて、イメージしていなかったと思います。
ただ、思いを置く場所を作りたかっただけで、それができたこと、書けることがうれしかったのでした。
それからの日々。
良いこともたくさんありましたが、つらいこともたくさんありました。
5年前に、前のブログシステムが閉鎖になるとわかり、こちらに引っ越してきたのも、大きな出来事でした。
書くのがしんどいと思うときも、たくさんありました。
それでも、やめようと思わなかったのは、書くことが本当に好きで、自分が思うよりも自分に向いていると感じたからでしょう。
書くのをやめたら、自分を立たせてくれるものがひとつなくなる、と。
書くことは、私にとってかけがえのないもの。
そう思える自分へのきっかけは、何でもないような一冊のノートでした。
中学2年で出会った、担任の先生(女性)。
明るくて、かわいくて、生徒たちといっしょに、学校生活を楽しむ人。
そんな先生が、大好きでした。
その年の4月、先生は、クラスの生徒たちに、大学ノートを渡されました。
その名も「生活ノート」。
毎日でなくて良いから、書きたいときに自由に書いて提出してください、というものでした。
なので、宿題ではなく、やるかやらないかは生徒の自由、という、ゆるやかな約束にすぎませんでした。
それゆえに、書くのが面倒くさい人は、すぐにそれは途切れたはず。
しかし、もともと文章を書くのが好きだった私は、毎日のように、しかもかなりの長文を書いて提出していました。
書くのも楽しいし、先生からの返事を読むのも楽しいしで、ある意味、勉強よりも熱が入っていたかもしれません。
3年になっても同じ先生が担任だったので、都合2年間、書き続けました。
数は覚えていませんが、何冊も、何冊も。
今となっては、どこにあるのかわかりませんが、大切な宝物です。
あるとき、観たくて観た2時間ドラマの感想を、長々と書いて提出したところ、「この文章を膨らませて、コンクールに出してみませんか?」というコメントがついていました。
驚きましたが、思い入れたっぷりに書いた感想文だったので、すごくうれしかったと思います。
でも、引っ込み思案ゆえに気後れして、先生の呼びかけに上手く応えられなかったのです。
もしもあのとき、「出します」と言っていたら、どんな結果が出たのだろう。
私は、どう変わっていたのだろう。
ちょっと悔しいですね。
そんなことを考えても、もう、しょうがないのだけど、振り返れば、あれが、今のブログの原型のような気がします。
その後も私は、卒業式の前々日まで、生活ノートを書き続けました。
先生も、最後まで返事をくれました。
書きたくて、書きたくてたまらなかった。
思いを口にするのが苦手な私にとって、あのノートは、心豊かに、そして饒舌にさせてくれる存在でした。
そして今、私はここに文章を書いています。
思えば、あの生活ノートが、「書く自分」の原点となりました。
つらいとき、悲しいとき…
卒業のときに先生にもらった、
「書くことを大切にしてください」
という言葉が、私を支えてくれています。
ありがとう、先生。
今でも、強く感謝しています。
叫びたいくらい、うれしいときも。
怒りがこみ上げるときも。
泣くほど悲しいときも。
心はずむ、楽しいときも。
ほんのひとつでも言葉を置くことが、私には必要だ。
話すのが苦手な私。
誰かに話しかけるのも苦手な私。
でも、書くことは、子どものころから好きだった。
細々とでも、好きなことを続けていたら、いつしか、それが自分を支えるものとなる。
言葉は大切。
しかし、コミュニケーションは、言葉がすべてではない。
誤解を与えたり、知らないうちに傷つけたり、傷ついたりする。
言葉は怖い。本当は怖い。
でも、語らないと、表さないと伝わらないことがある。
だから私は、書く。
勇気を出して、書き続ける。
今までも、これからも。
前向きな「コトバノチカラ」を信じて。
いろいろあった、10年間の歩み。
読んでくださった方、見守ってくださった方、言葉をくださった方、そして、私自身へ、
たくさんたくさん、ありがとう。
今は、そんな気持ちでいっぱいです。
それでも今日は、通過点。
これからも、よろしくお願いしますm(_ _)m