こんばんは
今日、「ピカルの定理」の、大ちゃんが登場するコーナーを観ていたら、
「嵐の今後について訊く」
というミッションが挙がっていました。
私は、ドキドキしながらも、
「ほぉ~、なるほど(でもそれはもう、雑誌で語ってるよ)」
と、思わず、心でつぶやいてしまいました
クラシックですm(_ _)m
「H」の最新号、読みました。
2日に買ってから、何回も読みふけっていましたが、ひとことで言うと、
「結構、重い…」
です。
2002→2012の嵐、そしてこれから、という内容ですが、読み進めていくうちに、私も、ちょっと考えこんでしまいました。
長いこと(1999~)彼らに寄り添ってきて、いろいろな言葉にふれて、いろいろなことを感じてきましたが、それを思うと、重いなぁ…と。
2002年1月。
「a Day…」が初めてテレビから流れてきたときの衝撃は、忘れられません。
おお~嵐、かっこいい~って。
本当にね、稲妻が落ちたようなね。
それまでのイメージからしたら、ちょっと考えられなかったので。
おもしろいな、この人たち!と、本気で思った記憶はあります。
「楽しい思い出」として語られている、「Gの嵐!」、あれ、本当に楽しかったです。私も。
マイナースポーツね。
「キンボール」とか、「フィーエルヤッペン」とか、ああ、ヌンチャクもありました。翔ちゃんの名言「チェスト!」と、独特の表情が印象的な(笑)。
でもあの頃、ツアーに関して、「こっちじゃなくて、そっち!?」と思ったこともあって。
そこからのすさまじいブレイクに、心が追っ付かなくなりそうなときもありました。
そう、ただ、ちっちゃく楽しんでいるだけで幸せだったのに…と。
でも、私にとっての彼らの存在の大きさがわかってから、ようやく、向き合い方がわかりだしました。
そこから先、今は…こんな感じ(笑)。
近年の心のありようを読むと、言葉は簡単になるけど、なんだかわかるな、うん、そんなふうに見えるよ、と感じます。
そして、その状況を、現時点でもいまだ「当たり前ではない」と認識できていることが、すごいなあって。
でもそれは、謙虚な姿勢でいるからこその思考であり、彼らにとっては、当たり前だのことなのでしょうね。
正直、私も怖いです、ずっと。
具体的には書けないけど、ずっと。
でも彼らは、「危ないかも」と感じたその時々に、自分たちにとっていちばん座り心地の良い椅子を作って、自分たちの意思でそこに移動してきたような気がする。
土台のしっかりとした、頑丈な椅子に。
だからたぶん、簡単には持ち上がらない人たちだろうな、とは思います。
「変わっていくけど」でも「変わらない」とは、そういうことなのかもしれない。
私たちが、「変わってほしくない」と願う、優しさや楽しさ、強さはずっと変わらない。
それは、人としての軸が全くぶれていないということ。
私たちはいつもそこに、安心感を覚えてきた。
そして、これから先も、ぶれてはいかないと思える。
だから、そこからどんなふうに振れていっても、そんなに、不安じゃないです。私は。
嵐さんそのものに関しては、ほとんど心配していない(心配なのは体調面)です。
ほっといても、変わりたくなくても変わってしまうのが生き物の宿命だから、そこは強く意識しないようにはしています。そのほうが、気持ちは楽だから。
というふうに、う~んと考えこんでしまいました。
今まで、自分が思っていても、口ごもってしまって言えなかったことも、そこに、彼らの言葉としてあるからかな?
そんな意識の重なりが、うれしかったりもするけど(笑)。
「自分らってこんなヤツらだよな」というくだりを読んで、共感を通り越して、思わず苦笑いするくらい、その「重なり」が心地良いテキストでした。
座談会の前に読んだアンケートも楽しかった
それぞれの答えにも性格が出ているけど、
大ちゃんの回答が、超シンプル!(スペース余ってます)
にのの字数、多いっ!(欄にびっしり書いたに違いない)
アンケート用紙が、目に浮かびます(笑)。
6と8の文章を総合したら、ちょうど「嵐」になる、そんな気がします。
松潤の「8」への回答に、そうだよね、とうなずいてしまいます(私も、そんなふうに思うので)。
表紙の写真を見て、
「ああ、この写真良いなこういう嵐さん、好きだな」
そう思っていたのですが、かなり経ってから、セルフシャッターに気付いた(←遅っ!)
皆で順番に撮っての、ベストショットだったんだね。
松潤、採用おめでとう
あと。
扉のページ、相葉さんの横顔が好き
あ~やっぱり、この、今の髪型大好きですね
年末以来、渇望していた(笑)5人の表紙。特集。
ずっと、大事にとっておきます。
表情も。言葉も。
ごめんなさい、長くなりましたm(_ _)m
ここまで読んでくださって、ありがとうございました
今日、「ピカルの定理」の、大ちゃんが登場するコーナーを観ていたら、
「嵐の今後について訊く」
というミッションが挙がっていました。
私は、ドキドキしながらも、
「ほぉ~、なるほど(でもそれはもう、雑誌で語ってるよ)」
と、思わず、心でつぶやいてしまいました
クラシックですm(_ _)m
「H」の最新号、読みました。
2日に買ってから、何回も読みふけっていましたが、ひとことで言うと、
「結構、重い…」
です。
2002→2012の嵐、そしてこれから、という内容ですが、読み進めていくうちに、私も、ちょっと考えこんでしまいました。
長いこと(1999~)彼らに寄り添ってきて、いろいろな言葉にふれて、いろいろなことを感じてきましたが、それを思うと、重いなぁ…と。
2002年1月。
「a Day…」が初めてテレビから流れてきたときの衝撃は、忘れられません。
おお~嵐、かっこいい~って。
本当にね、稲妻が落ちたようなね。
それまでのイメージからしたら、ちょっと考えられなかったので。
おもしろいな、この人たち!と、本気で思った記憶はあります。
「楽しい思い出」として語られている、「Gの嵐!」、あれ、本当に楽しかったです。私も。
マイナースポーツね。
「キンボール」とか、「フィーエルヤッペン」とか、ああ、ヌンチャクもありました。翔ちゃんの名言「チェスト!」と、独特の表情が印象的な(笑)。
でもあの頃、ツアーに関して、「こっちじゃなくて、そっち!?」と思ったこともあって。
そこからのすさまじいブレイクに、心が追っ付かなくなりそうなときもありました。
そう、ただ、ちっちゃく楽しんでいるだけで幸せだったのに…と。
でも、私にとっての彼らの存在の大きさがわかってから、ようやく、向き合い方がわかりだしました。
そこから先、今は…こんな感じ(笑)。
近年の心のありようを読むと、言葉は簡単になるけど、なんだかわかるな、うん、そんなふうに見えるよ、と感じます。
そして、その状況を、現時点でもいまだ「当たり前ではない」と認識できていることが、すごいなあって。
でもそれは、謙虚な姿勢でいるからこその思考であり、彼らにとっては、当たり前だのことなのでしょうね。
正直、私も怖いです、ずっと。
具体的には書けないけど、ずっと。
でも彼らは、「危ないかも」と感じたその時々に、自分たちにとっていちばん座り心地の良い椅子を作って、自分たちの意思でそこに移動してきたような気がする。
土台のしっかりとした、頑丈な椅子に。
だからたぶん、簡単には持ち上がらない人たちだろうな、とは思います。
「変わっていくけど」でも「変わらない」とは、そういうことなのかもしれない。
私たちが、「変わってほしくない」と願う、優しさや楽しさ、強さはずっと変わらない。
それは、人としての軸が全くぶれていないということ。
私たちはいつもそこに、安心感を覚えてきた。
そして、これから先も、ぶれてはいかないと思える。
だから、そこからどんなふうに振れていっても、そんなに、不安じゃないです。私は。
嵐さんそのものに関しては、ほとんど心配していない(心配なのは体調面)です。
ほっといても、変わりたくなくても変わってしまうのが生き物の宿命だから、そこは強く意識しないようにはしています。そのほうが、気持ちは楽だから。
というふうに、う~んと考えこんでしまいました。
今まで、自分が思っていても、口ごもってしまって言えなかったことも、そこに、彼らの言葉としてあるからかな?
そんな意識の重なりが、うれしかったりもするけど(笑)。
「自分らってこんなヤツらだよな」というくだりを読んで、共感を通り越して、思わず苦笑いするくらい、その「重なり」が心地良いテキストでした。
座談会の前に読んだアンケートも楽しかった
それぞれの答えにも性格が出ているけど、
大ちゃんの回答が、超シンプル!(スペース余ってます)
にのの字数、多いっ!(欄にびっしり書いたに違いない)
アンケート用紙が、目に浮かびます(笑)。
6と8の文章を総合したら、ちょうど「嵐」になる、そんな気がします。
松潤の「8」への回答に、そうだよね、とうなずいてしまいます(私も、そんなふうに思うので)。
表紙の写真を見て、
「ああ、この写真良いなこういう嵐さん、好きだな」
そう思っていたのですが、かなり経ってから、セルフシャッターに気付いた(←遅っ!)
皆で順番に撮っての、ベストショットだったんだね。
松潤、採用おめでとう
あと。
扉のページ、相葉さんの横顔が好き
あ~やっぱり、この、今の髪型大好きですね
年末以来、渇望していた(笑)5人の表紙。特集。
ずっと、大事にとっておきます。
表情も。言葉も。
ごめんなさい、長くなりましたm(_ _)m
ここまで読んでくださって、ありがとうございました