今日、生け花の会に参加しました。


写真は、そのときの作品を手直ししたものです。
テーマは、去年と同じく、「祈り花」。


真っ直ぐ立つ花は、天に向かう。
様々な祈りを、この花にこめて。


身内が住む地域が被災したり、新しい身内が被災した県の出身だったり、音信不通の古い友人が、東北の太平洋岸に近い町の出身だったり。


遠く遠く離れて、当時の揺れさえも感じなかった私にとっても、全くつながりのないことではありません。


あの日、ケータイのニュースで、都心のビルから煙が立ち上る写真を見て、尋常ではない、と、恐怖と不安でいっぱいになったこと。


帰宅難民者でいっぱいの街をテレビで観て、大丈夫ですか?と、友人にメールしたこと。
そして、夜中になって、無事、家族と会えました、という返信に、うれしくて涙したこと。


番組のツイッターで、嵐さんの無事を確認できたこと。


身内の無事や、ブログでつながった方々の無事を知ったこと。


それから。
音信不通の旧友のことが気になって、心がザワザワしたこと。


彼女の地元には人的被害はないことを確認し、信じるしかないと自分に言い聞かせたこと。


久々に、いとこに再会したときに感じた、互いに元気で生きていることへの喜び。


秋、被災した地域の製麺所からラーメンを取り寄せたとき、「作り方」の紙の裏に書かれた言葉…


「私たちは、必ず復興します」


その力強い思いに、逆に勇気づけられ、涙で目がにじんで、思わず、


「この紙、ずっととっとこうね!」『おいしかったです!』ってファックスしようね!」


と、声高に叫んでいたこと。


あれからずっと、直接あるいは間接的に、募金をし続けていること。


去年、今年と「祈り」の花を生けたこと。


2011年3月11日から2012年3月11日までの自分。
少しずつ、少しずつ、変わってきた実感があります。


地味でも、細々とでも、淡々とでも、ただ、生活できているだけで幸せなのだと思います。


目覚めて、3食食べて、誰かと話して、笑って、泣いて…そして、眠りにつく。
そういう、なんでもない一日こそ、かけがえのないものだと思います。


そんな日常の「本当は当たり前ではない、幸せ」が戻る日まで。
痛みに寄り添い、喜びを分かち合っていきたい。


くじけまい。
笑いたい。
余分に背負わない。


そんな思いを、願いをこめて、今日の花を生けました。


思いは、空の向こうへ届く。
願いは、空を伝ってつながっていく。


私もいっしょに、歩いていきます。