東北地方太平洋沖地震から、8日が経過しました。
たった8日ですが、ものすごく長い時間のように感じています。
時間の経過とともに、避難所で、寒さによって高齢者が亡くなられたり、原発の事故が起こって、多くの方が避難を余儀なくされたりして、自然災害のその後の問題も深刻になっています。
今日も、亡くなられた方のお名前が新聞に並ぶのを見て、
「これが、『生存が確認された方』だったら、どんなにうれしいか…」
と、思わずつぶやいていました。
毎日流れる不安なニュースに、心が痛むばかりです。
「お見舞い申し上げます」
「ご冥福をお祈りします」
さらに、
「ご無事を願っております」
私も、全国、いや、世界中の人々が届けた言葉です。
今の、精いっぱいのメッセージのはずです。
しかし、被災者の皆様の体の痛み、心の痛みは、私たち遠くに住む者が想像するよりもずっと大きくて深いものだと察するうちに、だんだんと、それらがなんだか安っぽく響いてしまい、どうしようもない無力感に襲われました。
どう声をかけたらいいの…?
いや、彼らを目の前にしたら、今の私には、声をかけることすらできないだろう…。
何が、いちばんの力に、勇気につながるのだろう?
心の葛藤は、長く長く続きました。
ですが、救助作業や被災地へ向けての物的支援など、人々の手もまた、日ごとに増えています。
道路網が寸断され、燃料も不足し、なかなか必要なものが届かない、もどかしい気持ちもありますが、一歩一歩、確かに近づいていると信じます。
これらは、素人の私たちにはできないので、ひたすら「がんばれ」と祈るだけです。
私もまた、少しずつですが、できることをやっています。
今日までの段階では、募金、節電、買いだめしないこと、燃料費の節約のためのエコ運転(これは、前からやっています)、くらいかな。
どれくらい役に立っているのかわかりませんが…、やったことは確実に、どこかにつながっていると信じています。
身内がいまだに不便な暮らしをしていることもありますが、もう、傍観者という感覚はありません。
兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)のとき、父は、地域を代表して(何人かで)、被災地まで救援物資を運びました。
私は、大型免許も持っていないし、そのときの父のようにはなれないけど、父の姿を思い出して、背伸びしない、現状でできることを続けていきたい、と、心に言い聞かせています。
そんなふうに、さまざまな思いが去来するなか、この数日間、いろいろなメッセージを読んだり、映像を観たりして思ったのは、私がいつもの仕事をすることも支援になる、ということです。
私の仕事は、全国の皆様に手紙や荷物を送り届ける人たちのお手伝いです(あっ回りくどいか)。
いってみれば、かなり地味な仕事です。
今週に入って、たくさんの荷物が引き受けられているのを見ました。
被害が甚大ゆえに、届けることができない地域もあり、それが、本当に心苦しいです。
それでも、毎日の勤務で、私が自分に任された仕事をすることが、生活に困っている人たちに確実に荷物と気持ちを届けられることにつながっているのではないか、と思うようになりました。
私は、淡々といつもの仕事をするだけです。
今、この瞬間は、そこにはっきりとした意味を見いだせないかもしれません。
でも、時間が経って、その淡々とした地味な仕事が、どこかの誰かの笑顔につながっていたら…。
それはとても、幸せなことだと思います。
そうだ。笑顔。
笑顔って、宝物ですよね。
木曜日。
少しずつ、いつもの生活感覚に戻っていた私。
リアルタイムの「ひみ嵐!」を観ながら、いつの間にか大笑いしていることに気づきました。
観る前は、被災や停電で観れない人に申し訳ないという気持ちが大きく、笑っていていいのだろうか?と、深刻に考えすぎているふしがありました。
でも、気づいたら、笑っていました。
振り返っても、本当におもしろくて、楽しかったんです。
激辛カレーにヒヨったにのとか、縄跳びジェスチャーの翔ちゃんとか。
なんか、すごく久々に、テレビを観て笑ったような気がして。
それが、すごくうれしかった。
笑えたことが、本当にうれしかったです。
そして、楽しいことに出会ったときは、場をわきまえながら、無理しないで笑っていいのだ、ということを思い出しました。
笑うことを我慢して、封印してしまったら、いつしか、自分の笑顔を思い出せなくなってしまう。
笑うときの感覚を忘れてしまう。
そして、笑顔のパワー、すばらしさを誰かに伝えようとすることも、億劫になってしまう。
だから、笑うことを自分で捨てたらいけない。
楽しいときは、素直に笑っていたい。
それが、知らない誰かの笑顔につながると思うから。
↑これは、私なりにたどり着いた結論なので、こうしてください、というつもりはありません。
ただ、一人でも多くの人に笑顔が戻ってほしいと願うとき、笑顔のない自分ではいたくない。
そんな気持ちでいることは確かです。
私が嵐さんの姿に希望を持ち、いつも、勇気と笑顔をもらってきたように、私の歩みも、私の大切な人たちの、また、まだ知らない誰かの生きる力につながったらいいな。
ほかの人のように、有益な情報を流すことも、励ましの声を続けることもできていないけれど、
あの日あの瞬間、揺れを感じなかった私にも、何かができると信じて。
そして、被災された方々の、生きる勇気と、心からの笑顔が戻ってくる日のために。
生きていることに感謝して、ここから力をためて、私もがんばります。
めっちゃ長くなりました
ごめんなさい。
読んでくださった方、ありがとうございましたm(_ _)m
たった8日ですが、ものすごく長い時間のように感じています。
時間の経過とともに、避難所で、寒さによって高齢者が亡くなられたり、原発の事故が起こって、多くの方が避難を余儀なくされたりして、自然災害のその後の問題も深刻になっています。
今日も、亡くなられた方のお名前が新聞に並ぶのを見て、
「これが、『生存が確認された方』だったら、どんなにうれしいか…」
と、思わずつぶやいていました。
毎日流れる不安なニュースに、心が痛むばかりです。
「お見舞い申し上げます」
「ご冥福をお祈りします」
さらに、
「ご無事を願っております」
私も、全国、いや、世界中の人々が届けた言葉です。
今の、精いっぱいのメッセージのはずです。
しかし、被災者の皆様の体の痛み、心の痛みは、私たち遠くに住む者が想像するよりもずっと大きくて深いものだと察するうちに、だんだんと、それらがなんだか安っぽく響いてしまい、どうしようもない無力感に襲われました。
どう声をかけたらいいの…?
いや、彼らを目の前にしたら、今の私には、声をかけることすらできないだろう…。
何が、いちばんの力に、勇気につながるのだろう?
心の葛藤は、長く長く続きました。
ですが、救助作業や被災地へ向けての物的支援など、人々の手もまた、日ごとに増えています。
道路網が寸断され、燃料も不足し、なかなか必要なものが届かない、もどかしい気持ちもありますが、一歩一歩、確かに近づいていると信じます。
これらは、素人の私たちにはできないので、ひたすら「がんばれ」と祈るだけです。
私もまた、少しずつですが、できることをやっています。
今日までの段階では、募金、節電、買いだめしないこと、燃料費の節約のためのエコ運転(これは、前からやっています)、くらいかな。
どれくらい役に立っているのかわかりませんが…、やったことは確実に、どこかにつながっていると信じています。
身内がいまだに不便な暮らしをしていることもありますが、もう、傍観者という感覚はありません。
兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)のとき、父は、地域を代表して(何人かで)、被災地まで救援物資を運びました。
私は、大型免許も持っていないし、そのときの父のようにはなれないけど、父の姿を思い出して、背伸びしない、現状でできることを続けていきたい、と、心に言い聞かせています。
そんなふうに、さまざまな思いが去来するなか、この数日間、いろいろなメッセージを読んだり、映像を観たりして思ったのは、私がいつもの仕事をすることも支援になる、ということです。
私の仕事は、全国の皆様に手紙や荷物を送り届ける人たちのお手伝いです(あっ回りくどいか)。
いってみれば、かなり地味な仕事です。
今週に入って、たくさんの荷物が引き受けられているのを見ました。
被害が甚大ゆえに、届けることができない地域もあり、それが、本当に心苦しいです。
それでも、毎日の勤務で、私が自分に任された仕事をすることが、生活に困っている人たちに確実に荷物と気持ちを届けられることにつながっているのではないか、と思うようになりました。
私は、淡々といつもの仕事をするだけです。
今、この瞬間は、そこにはっきりとした意味を見いだせないかもしれません。
でも、時間が経って、その淡々とした地味な仕事が、どこかの誰かの笑顔につながっていたら…。
それはとても、幸せなことだと思います。
そうだ。笑顔。
笑顔って、宝物ですよね。
木曜日。
少しずつ、いつもの生活感覚に戻っていた私。
リアルタイムの「ひみ嵐!」を観ながら、いつの間にか大笑いしていることに気づきました。
観る前は、被災や停電で観れない人に申し訳ないという気持ちが大きく、笑っていていいのだろうか?と、深刻に考えすぎているふしがありました。
でも、気づいたら、笑っていました。
振り返っても、本当におもしろくて、楽しかったんです。
激辛カレーにヒヨったにのとか、縄跳びジェスチャーの翔ちゃんとか。
なんか、すごく久々に、テレビを観て笑ったような気がして。
それが、すごくうれしかった。
笑えたことが、本当にうれしかったです。
そして、楽しいことに出会ったときは、場をわきまえながら、無理しないで笑っていいのだ、ということを思い出しました。
笑うことを我慢して、封印してしまったら、いつしか、自分の笑顔を思い出せなくなってしまう。
笑うときの感覚を忘れてしまう。
そして、笑顔のパワー、すばらしさを誰かに伝えようとすることも、億劫になってしまう。
だから、笑うことを自分で捨てたらいけない。
楽しいときは、素直に笑っていたい。
それが、知らない誰かの笑顔につながると思うから。
↑これは、私なりにたどり着いた結論なので、こうしてください、というつもりはありません。
ただ、一人でも多くの人に笑顔が戻ってほしいと願うとき、笑顔のない自分ではいたくない。
そんな気持ちでいることは確かです。
私が嵐さんの姿に希望を持ち、いつも、勇気と笑顔をもらってきたように、私の歩みも、私の大切な人たちの、また、まだ知らない誰かの生きる力につながったらいいな。
ほかの人のように、有益な情報を流すことも、励ましの声を続けることもできていないけれど、
あの日あの瞬間、揺れを感じなかった私にも、何かができると信じて。
そして、被災された方々の、生きる勇気と、心からの笑顔が戻ってくる日のために。
生きていることに感謝して、ここから力をためて、私もがんばります。
めっちゃ長くなりました
ごめんなさい。
読んでくださった方、ありがとうございましたm(_ _)m