こんにちは、RUPISUです。


あまりこういう話題はテンションが下がるので書くべきではないのかも

しれませんが・・・


私の母は、乳がんを13年前に発見し、乳房全摘出手術、リンパ節転移

で左わきのリンパ節を摘出し、癌治療で言えば、末期に入ろうとしています。

私の父も甲状腺未分化癌で3年間頑張りましたが7年前に亡くなりました。

これで今のような生活を、13年間ずっと繰り返しているわけでもあります。

母の余命がどのくらいあるのかは正確にはわかりませんが、だいたいは

素人の私でも経験則でわかります。

使っている抗がん剤、薬の修理、転移状況に血液検査の数値を見れば

どの程度侵攻しているかは理解できます。


今日も長女のランドセルを買いに行くのに同行できなかったのですが

やっぱり、誰かが常時ではなくとも母のそばについている必要があります。

毎朝、生きているのかの確認のため訪問、お世話、家族全員でなんとか

協力して頑張っています。


最近になり、両足の筋力が予想以上に落ちてしまい、リハビリのために

動くように手をつないで歩いたりしているのですが、何とか歩けるといった

状態で、先日は転倒して、右肩甲骨付近の筋肉が肉離れ、また、左腕も

ぐねり、動かない状況が続いていました。


そして、今日は風邪だと思うのですが、発熱し、38.5℃までさっき確認し

たら上がっており、解熱鎮痛剤を飲んでもらいました。


癌治療とよく言いますが、決定的ながん治療の方法はないのが現状で

余命をいくら延ばせるのか・・・という延命治療が基本になっています。


また、骨転移することで、痛みが激しくなり、痛みで精神的に参らない

ようにする緩和ケアが今現在の最善の患者に対する治療?となっている

のが現状です。


私も、長年こうやって両親と叔母の3人の世話をしてきてわかることは

いかに余命を楽しく満足のいく時間を過ごせるのか・・・というところに

主眼を置くことになると思います。

親しい友人や近所の方々、勿論家族との団欒のひと時を毎日大切に

すごすことが本人の満足につながっていると理解できること。

あとは、患者に心配や後悔を残さないこと・・・

これは、患者とのコミニュケーションが大切で何でも話し合える・・

時には喧嘩もできる親子や兄妹であればこそ聞き出せて、理解できて

解決できることだと思います。


私の両親には本当に色々なことを教えてくれ、父とは一緒に仕事も頑張

ったこともあります。 父の商売が不況でうまくいかないときは、私からも

援助をしましたし、父も私の研究開発・特許関係の仕事で、実験機材を

作る手伝いをしてもらったりもしていました。

母には料理など家事全般から、洋裁の先生だったので縫物など色々と

手ほどきを受け、両親からの技をかなり習得できたと思っています。


こうやって、13年間色々なことはあり、苦労と感じていたものもいつの間

にか当たり前の日常となり、妻も妹も子どもたちも協力してくれることで

支え合っているという実感と家族・近所・地域等のつながりの大切さも

実感することができるようになって、好かったと感じています。


ただ、自分の時間と言うものを他の人たちと比較するとかなり少なく

このブログをかく時間も、毎日書けていますが、少なくなってきています。

勿論、趣味のジョギングの時間も走れない日が多く、自由が少なくなって

来ているのも事実です。


母の残された時間を考えていて、今悩んでいるのは、母の故郷である

小豆島にもう一度いっしょに皆で行くこと・・・

これを考えると、季節も考慮すると5月の連休しか無いように感じてきました。


連休の5月3日には武庫川ユリカモメ70kmウルトラマラソンが予定に

入っているのですが、今年は出走を諦めようかどうするか考えています。

走れなかったら、KAZさんやつっちさんには申し訳ない限りです。


母はこんな状態でも「走れ!」と性格上たぶん言うと思います。

でも、もう時間が限られているということ・・・私にとっても後悔したくない

ということ・・・もうしばらく時間がありますので、考えたいと思います。


もう一つの方法としては、先日小豆島オリーブマラソンの案内が届き

エントリーするつもりです。 私のゴールを見たいと言ってますので、この

時に家族一緒に連れていく方法が考えられます。 

仕事もキャンセルして、故郷を一緒に巡る・・・。


色々と考えること、地域やら何やらで、やらねばならないことがこのところ

多く、ぶちまけたい気持ちもありますが、何とかまだ許容範囲内・・・


明日もまた朝から母の様子を確認して1日が始まります。

長文ごめんなさいでした。

それでは。