こんにちは、RUPISUです。

毎年この日が来ると思いだす・・・・

大切な人たちや私たちもあの地震で被災・・・・

あの地震で人生がくるってしまった人が沢山います・・・・

生きていればきっと良いことがあると言いますが、あのときはその言葉は心に響かなかった・・・・

私たち夫婦もその前の年にその神戸で結婚式をあげ、1年後

結婚式を挙げた六甲山のホテルに宿泊・・雪山を楽しんで年明けの

私の誕生日が、阪神淡路大震災の発生した日に当たります。

誕生日を祝うはずのケーキも破壊・・・

食器棚や食器・家電製品も多数破壊・・・電気もガスもストップ・・・・

神戸でお世話になっていたD社本社に入れていた機械も破壊・・・

あの瞬間・・倒れてくる家具から妻を守るために瞬間的に起きて守っていた自分・・・

余震が続き、真っ暗な中状況のわからないまま夜が明けて・・・・

ラジオから聞こえる声が・・言葉が・・・

地震であったことは分かったが、どこでどの範囲であったのかは理解できなかった。

私たちの地域での震度は今で言う震度6弱くらいだろうか・・・

電気が復旧し、テレビがうつった・・・・

映し出される映像に、言葉を失った・・・・

私たち夫婦の出会いの場所でもありなじみ深い神戸が壊滅状態・・・・

映像をみながら泣いていた・・・心が痛い・・・何故か怒りがこみ上げる・・・・

連絡が・・情報が伝わるにつれて状況がわかってくる・・・・

父や母、兄弟の無事を確認し、神戸方面へ向かうと、水を求めて流れ来る人の多さに驚く・・・・

私にできることはないのか?・・・・

私の存在の小ささを思い知らされた・・・・

身近な人の安否情報や訃報も飛び込んでくる・・・・

私は何をすればいいのか判らなかった・・・・

とりあえず、家に戻り、まずは我が家をもと通りにせねば・・・・

幸い1週間ほどでなんとかなった・・・・

続々と飛び込んでくる状況・・・

淀川をはさんで、被災状況の格差があることに愕然とした・・・

淀川より南の地域でほぼ無傷で仕事も普通に行われていた・・・

私たちは被災して大変なことを理解できないその地域の人たち・・・

やはり体験をとおさなければ事の大きさ、重大さは伝わらないのだろう・・・

気持ちも仕事どころではない状況がつづく・・・

1日経ってもまだ神戸は燃えていた・・・

増え続ける死者負傷者の数・・・

とにかく私にできること・・・神戸方面へ行こう・・・それしかできない・・・

・・

幸い私たち家族には死者は出ずに済みましたが、色々と進路変更せね

ばならない岐路に立たされた瞬間でもありました。

生き残った者にできることは何か・・・

失ったものもあったが、色々なことをこの経験で得ることができた・・・

あれから15年・・・第三者的な視点を重視するようになったのもこの

地震のおかげであることは言うまでもないと思います。

この時期から馬鹿騒ぎからは卒業したようだ・・・

ただそこに自分があり感じ判断行動するのみ・・・

・・

被災され大切な方を亡くしてしまわれた方がたくさんおられます・・・

私はまだまだましな方・・・

やり場のない怒りは何処へ・・・

このことは忘れてはいけない・・・

この日は、私の誕生日でもあり大地震の発生した特別な日になってしまった・・・


亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。


そして、これから起きるであろう、もっと広範囲に被害が出るであろう

巨大地震に向けて、私たちのできることをしっかり考えておかねば

ならないことを再確認したいですね。