祝福の鐘の音 | くさはらの日々

くさはらの日々

日々の瑣事のひとつひとつに新鮮な気持ちでむきあいたい....と思いつつ、くさはらの中で迷子になったような気分からの脱却。心と体と暮らしの変化を見つめていたら、いろんなことが少しずつ整いはじめた。思考の整理をお手伝いするibマッピングカウンセラー、やってます。

ご無沙汰いたしました。

 

前回の投稿から9か月。

その間にいろんなことがありました。

 

一人暮らしの実家の父は、

倒れて入院、

その後、高齢者施設へ入居。

 

我が子はこの春高校を卒業し、大学生に。

 

時とともにいろんなことが変化します。

 

私も「受験生の母」を卒業。

 

「受験生の母って、

具体的に何がたいへんなんだろう?」

という昨年感じた疑問も、

 

終わってみて、

そういうことだったのかあ、

というのを後から感じました。

 

何も特別なことをしたわけじゃないけど。

 

私がやったことは、

「見てる」と「待つ」と「信じる」

ことだけ。

 

・その3つが、思ったより忍耐のいることだということ

・それをかつて自分も

 親からしてもらっていたのだと気づいたこと

・我が子の巣立ちって、つまりは

 自分と向き合わされることなのねと知ったこと

 

「受験生の母」を経験してみて、

私が学んだのは、そういうことでした。

 

子どもが高校卒業したら、

私の母親業も一応卒業、

と思ってきたので、

巣立たせた後は、

やはり一抹の寂しさがあります。

 

お母さんをやらせてもらった18年間は、

ほんとに楽しくて面白い時間だったから。

 

4月になって、所用があって

自分の母校のそばを通りがかった時、

時計塔の16時の鐘の音が聞こえてきました。

 

在学中にも鳴っていたはずなのに、

まるで初めて聞くかのように

新鮮な響きでした。

 

「おかえり」

と言われているような、

「よくがんばったね」

と褒めてもらったような、

「これからはもっと好きに生きていい」

と背中を押されたような、

そんな感覚がありました。

 

子育てしてきた、

と言うより、

勝手に育っていくのを

そばで面白く見物させてもらっていただけ、

というのが実感ですが、

 

その鐘が、まるで祝福の音に聞こえました。

空耳かなあ。