自分にも子どもができたら、してやりたいと思っていたこと。
いくつもあるけど、
そのひとつが、この花束を贈ること。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140123/18/rupinelady/0b/34/j/t02200165_0500037512822810417.jpg?caw=800)
それが叶う日がやってきました。
今を去ることうん十年前、
私のはじめての高校受験の合格発表の日、
ひとりで発表を見に行ってくれた母が、
かわいい花束を帰りに買ってきて、
合格通知の入った封筒といっしょに渡してくれました。
色とりどりの花が入ったその花束は、
生まれてはじめてもらった花束だった気がします。
とってもうれしかった。
第一希望の高校ではなかったけれど、
最初の合格発表。
掲示板に私の受験番号を見つけた母は、
きっと安心してうれしかったんだろうな。
その後本命の高校に合格できたので、
その高校に入学することはなかったのだけれど、
その日にもらった花束は、
私の人生のうれしかったことベストテンに入るくらい、
心に残っています。
だから、私も我が子のはじめての合格発表の日には、
それと同じ花束を贈りたかった。
で、私の記憶では、
その花束の花はパンジーだとずっと思っていたのですが、
毎年この季節に花屋の店先を気にして見ていても、
パンジーの花束というのを見たことがないのです。
先日店頭で見かけて、
「あっ、きっとこれだ。
あの時おかあさんが買ってきてくれたのは」
と思いいたったのは、
アネモネの花束。
そして今日、
娘が受験する3つの高校のひとつめの合格通知が、
速達で届きました。
やはり第一希望の学校ではありませんが、
はじめての合格通知。
先ほど買いに行ってきました。
近所の花屋二軒回ったけどアネモネはなかったので、
三駅先の先日見かけた花屋さんまで電車に乗って。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140123/18/rupinelady/2f/e1/j/t02200165_0600045012822817374.jpg?caw=800)
アネモネの花言葉のひとつは、
「明日への希望」
だそうです。
おぅ、なんとぴったり。
あの日の花束、ほんとにうれしかったよ。
おかあさん、ありがとう。
そしてこんどは、贈る側の楽しみを味わえるなんて。
娘よ、ありがとう。
本命の学校の受験まであとひと月ちょっと。
もうひとがんばり。
今日帰ってきたら、花束渡すの楽しみだな~♪
今日の晩ごはんは、娘のリクエストのオムライスです。
** 追記(2014.02.21)**
パンジーの花束、見かけました!! 今日!
あのアネモネの花束を買ったお花やさんの店先で。
やっぱりあったんだ~。
幻だと思っていた、パンジーの花束。
母がくれた花束は、やっぱりパンジーだったのかなあ?
まあ、どっちでもいいや。
うれしかったんだから。
でも、うれしかったのは、
花束そのものというよりも、
母が私のことで喜んでくれていると感じられたこと。
母が私のことを認めてくれていると感じられたこと。
だったのだと思うのです。
母は我が子を面と向かって褒める、
ということがあまりない人だったので、
私は母に褒められた記憶というものが、
あまり多くないのです。
子どもの頃は、
だめなとこ指摘されてたような記憶ばかりで。
それに、勉強しろとかもっとがんばれとか、
一度も言われたことがなかったので、
あんまり期待もされてないのかな、
と思っていたような。
それだから、
あの花束をもらった時、
きっと母は「おめでとう」くらいしか
言ってないと思うのだけど、
私はその後ろに、
「おかあさんもうれしいよ」
「よくがんばったね」
「ちゃんとまじめに取り組んできたのを知ってるよ」
「あなたを誇りに思っているよ」
「できてもできなくても、ほんとはどっちでもいいんだけどね。
どっちだって、いつでもおまえのことは大好きだよ」
「でもやっぱり、うれしいよ、おめでとう」
という言葉を勝手にくみとって、
おかあさんが喜んでくれている、
というそのことがうれしかったのだろうと、
いま思います。