インドインデックスブロガーです🐸。
今回は「第2次世界大戦後のインドの歴史」についてお話ししたいと思います。
第2次世界大戦後、インドはイギリスからの独立を果たしましたが、その過程で多くの困難や葛藤に直面しました。
この記事では、インドの独立運動、パキスタンとの分離、非同盟政策、経済発展など、インドの歴史の主要な出来事を紹介します。
インドの独立運動
第2次世界大戦中、イギリスはインドに対して戦争協力を求めましたが、インド国民会議派(以下、国民会議派)やインド・ムスリム連盟(以下、ムスリム連盟)などの主要な政治勢力は、戦争に参加する代わりに独立を要求しました。
しかし、イギリスはこれを拒否し、国民会議派の指導者であるマハトマ・ガンディーやジャワハルラール・ネルーらを逮捕しました。
これに対して、国民会議派は「不服従運動」を展開し、イギリスの支配に対する抵抗を強めました。
一方、ムスリム連盟はイギリスと協力する姿勢を示し、独自の国家「パキスタン」の樹立を主張しました。
これは、インドの人口の約25%を占めるムスリムがヒンドゥー多数派から差別や迫害を受けることを恐れたためです。
パキスタンとの分離
1947年8月15日、イギリスはインドから撤退し、インドとパキスタンという二つの国家を誕生させました。
しかし、この分離は深刻な問題を引き起こしました。
まず、分離された地域の境界線が不明確であったため、カシミール地方やパンジャーブ地方などで領土紛争が発生しました。
また、分離に伴って約1400万人もの人々が移動することになり、その過程で暴力や虐殺が起こりました。
推定で20万人から200万人もの人々が死亡したとされています。
さらに、分離後も両国の関係は悪化し続け、核兵器を保有するまでに至りました。
非同盟政策
第2次世界大戦後、世界は米ソの二極体制に分かれましたが、インドはどちらにも属さない「非同盟政策」を採用しました。
これは、インドが自らの主権や平和を守るために必要だと考えたためです。
また、インドはアジアやアフリカなどの新興国と連帯し、「第三世界」と呼ばれる勢力を形成しました。
非同盟政策はインドにとって外交的なメリットをもたらしましたが、一方で経済的なデメリットもありました。
例えば、米ソ両国からの援助や投資を受けることができなかったり、国際的な市場に参入することが困難になったりしました。
経済発展
インドは独立後、社会主義的な計画経済を採用しました。
これは、インドが自立した産業を育成し、貧困や格差を解消するために必要だと考えたためです。
しかし、この経済政策はインドの経済成長を阻害しました。
例えば、国有化や規制によって民間部門の活力が失われたり、腐敗や官僚主義が横行したりしました。
また、インドは人口爆発や食糧危機などの社会問題にも直面しました。
1991年には、外貨準備が底をつき、経済危機に陥りました。
これを契機に、インドは自由化や市場化などの改革を進めるようになりました。
これによって、インドの経済は高い成長率を達成し、世界第5位の経済大国になりました。
しかし、インドの経済発展は不均衡であり、農村部や少数民族などの貧困層や弱者層は依然として困難な状況に置かれています。
まとめ
以上が「第2次世界大戦後のインドの歴史」の概要です。
インドは独立後、多くの挑戦や変化に直面しながらも、独自の道を歩んできました。
インドは今後も世界の重要なプレーヤーとして、さらなる発展と貢献を期待されています。
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