インドインデックス投資ブロガーです。
今回は、インドの近代史についてお話したいと思います。
インドの近代史とは、おおまかに言えば、18世紀後半から20世紀後半までの時期を指します。
この時期には、イギリスの植民地支配、インド国民会議の結成、ガンディーの非暴力抵抗運動、パキスタンの分離独立、ネルーの指導下でのインド共和国の誕生など、様々な出来事が起こりました。
インドの近代史を知ることで、現在のインドの政治や経済、社会や文化についても理解が深まると思います。
では、具体的に見ていきましょう。
まず、イギリスの植民地支配についてです。
18世紀後半、イギリス東インド会社は、ムガル帝国の衰退とマラーター同盟の分裂を利用して、インドの大部分を支配下に置きました。
イギリス東インド会社は、インドの貿易や税収を独占し、インド人に高い税金を課しました。
また、イギリス式の教育や法律や文化を押し付けることで、インド人の伝統や宗教や言語を軽視しました。
イギリス東インド会社の支配は、1857年に起こったセポイの反乱(インド大反乱)によって終わりを告げました。
この反乱は、イギリス軍に従事していたインド人兵士(セポイ)が中心となって起こしたもので、イギリス東インド会社の圧政に対する不満が爆発したものでした。
反乱は鎮圧されましたが、イギリス政府はイギリス東インド会社を廃止し、インドを直接統治することにしました。
これがイギリス領インド帝国(英領インド)の始まりです。
次に、インド国民会議の結成についてです。
1885年、ボンベイで初めてインド国民会議が開催されました。
この会議は、当初はイギリス政府に対する請願や抗議を行うために結成されたものでしたが、次第にインド人の政治的な組織として発展していきました。
インド国民会議は、イギリスからの自治権や憲法制定などを要求しましたが、イギリス政府はこれらを拒否しました。
そのため、インド国民会議は非協力運動や不服従運動などを展開しました。
特に有名なのは、1920年から始まった非協力運動です。
この運動では、イギリス製品の不買や学校や裁判所への不参加などを行いました。
この運動は大きな影響力を持ちましたが、1922年にチャウリ・チャウラ事件と呼ばれる暴動が起こったことで中断されました。
そして、ガンディーの非暴力抵抗運動についてです。
ガンディーは、インド国民会議の指導者の一人であり、非暴力主義者でした。
彼は、イギリスからの独立を目指して、非暴力的な方法で抵抗することを提唱しました。
彼は、塩の行進や綿紡ぎなどの象徴的な行動を行いました。
塩の行進とは、1930年に行われたもので、イギリス政府が塩に課していた税に反対して、海岸まで歩いて塩を作るというものでした。
綿紡ぎとは、イギリス製品の不買を強調するために、自分で綿を紡いで布を作るというものでした。
ガンディーの非暴力抵抗運動は、多くのインド人の支持を得ましたが、イギリス政府はこれに対して弾圧しました。
ガンディーは何度も逮捕されたり投獄されたりしました。
最後に、パキスタンの分離独立とインド共和国の誕生についてです。
第二次世界大戦後、イギリス政府はインドからの撤退を決めましたが、インド人の間には宗教的な対立がありました。
特に、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の間には深刻な争いがありました。
イスラム教徒は、自分たちの権利や文化を守るために、インドから分離してイスラム教徒の国家を作ることを求めました。
これに対して、ヒンドゥー教徒はインドを統一することを望みました。
この対立は、1947年にインドが独立する際に決着しました。
インドはヒンドゥー教徒が多数派のインド連邦(現在のインド)とイスラム教徒が多数派のパキスタン連邦(現在のパキスタンとバングラデシュ)に分割されました。
この分割は、大規模な暴力や難民問題を引き起こしました。
1950年には、インド連邦はインド共和国となり、ネルーが初代首相となりました。
以上が、インドの近代史についての簡単な紹介です。
インドは様々な困難や挑戦を乗り越えてきた国です。
今後もインドは世界の重要な国家として発展していくでしょう。
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