昨年末に叔父が他界し、初めてのお彼岸なので栃木に墓参りに行ってきました。
一緒に住んでいた婆ちゃんが数年前に他界し、叔父が他界してしまったので、家が空き家になってしまったのです。
墓参りのついでに母とその家の掃除をしていたら、思わぬものが物置から出てました。
一緒にいた母に「これは?」と訪ねると、婆ちゃんが使っていた背負いかごだと言うのです。
竹を編み、背負い紐も編み、全て婆ちゃんの手作りのものだという。
「こんなものが未だあったんだ」としみじみとする母。
すると母が、徐にこの、かご、についての思い出を語り始めてくれました。
太平洋戦争の当時、東京に住んでいた一家は、敗戦の色が濃くなる頃、爺ちゃん、婆ちゃん、幼い娘(私の母)とその弟(私の叔父)の4人で、親戚を頼り今の家に疎開してきました。
郵便局に勤めていた爺ちゃんは、そこそこの稼ぎがあり、たくさんでもないけど食べ物はきちんと食べていられたとのことです。
終戦を迎え、さてこれから、という時、爺ちゃんが病に倒れ他界。
親戚を頼り疎開、と言ってもその親戚も自分たちが食べるのに精いっぱいの時世。女でひとつで子供らを食べさせていかなくちゃならなくなった婆ちゃん。
そこで婆ちゃんは、近所に畑を借り、野菜を育て、その野菜を売りに行くのに作ったのが、このかご。
昭和20年代の話です。
晴れの日も雨の日も重い野菜を背負い、生活、しいては子供たちを食べさせ、学校に行かせるため、毎日毎日、娘(母)が学校を卒業し就職するまで背負い続けた、かご、だったというのです。
「この、かご、があったから私たちが生活できたんだよ」と母。
子供のころの母にとっては、婆ちゃん=かご、だったのだと思いました。
私にとっての婆ちゃんは、大正生まれの気丈でちょっと口の悪いのがたまに傷の、それでも私を初孫ってこともあり、とっても可愛がってくれた存在の人。
こんな苦労があったなんて一度も私には話さなかった婆ちゃんでした。
最後に、母がこの、かご、に向かって「ありがとう」って言ったのが、心に響きました。
私の生まれるずぅーっと前のお話しでした(笑)。
