雨の音サンデー。

家の中で聞いとくのも好きやけど
車の中で聞くのも好きで、
雨の日に車で出ると
用をすませて家に着いて
エンジンきったあと、
ぼーっと聞きつづけとったら
あっとゆうまに30分以上
経っておるっていう、
きょうもそんな日でありました。



きのうの土曜は
朝から上の親知らず抜歯。

下のときとちがって
こんなにあっさり抜けちゃうのね、、
と拍子抜けしたあと、
意外と身構えてた緊張が解けたり
小さい頃の歯医者さんの記憶が蘇ったりで
からだもこころもなんか
よわよわな、やわやわな感じに。

よよよ状態で
いったん家に帰り
麻酔がきれるまで
しばしからだを休ませたあと、
マイパワスポ、いつもの本屋へ。



そのうち読もうとあたまの隅に
薄っすらメモってある本リスト
の中の1冊でありました、
神田橋せんせいのこの本。


ああそういえばとおもって
なにげなく手にとって
パラパラしてたら
目に留まったここ


・・・・・・・・・・・
いのち

いのちの起源は定かでないが、
ふさわしい象徴は「泡」である。
両者ともに
半閉鎖的エネルギー体系である。

泡の一種であるシャボン玉を
細かに観察すると、
なんとか現存の球形という
エネルギー体系を保持しようと、
内側でやりくりしながら、
しかも風や重力などの外力と
折り合いをつけようとする作業が見て取れる。
自然治癒力の起源を思わせる。

泡はその努力にもかかわらず、
ほどなく壊れてしまう宿命にある。
壊れる瞬間、小さな数個の泡を
生み出すことがある。
自己複製機能であり、
生命のフラクタルではないかと連想する。

ゴム風船も泡の一種であるし
究極には半閉鎖系なのだが、
消滅の後のゴムの残骸は感情移入を妨げる。
総じて人工物にはそのきらいがある。
恐竜の化石は感情移入を妨げない。
「いのちへの畏敬」の査証であろう。
・・・・・・・・・・・


ここ読んだとき
こう、なんかものすごく
繋がった感じとゆうか、、
じぶんの中にずーっと前から散らばってた
点と点と点と点と・・・が
すぅふぁーっと繋がった感覚になり、
なんか泣きそうになり、
即購入してじっくりじっくり
味わいながら読んでおりまする。
しふく照れ

巻末の付録(胎児期愛着障害の気功治療)
も、実際やってみたらおもしろくて、
とゆうか、いまのわたしに
ぴったりすぎるワークで
驚きふるえる。
らんさん、麻美さん、神田橋せんせい
全員からここだよ!って
ライト当ててもらったような感じで
もう、目の逸らしようがない。
つづけようとおもいます照れ



土曜も日曜も
べつべつの神社で
神楽をみる予定が
台風で両方とも中止になって
時間がぽっかり空いた、
からこそのこの感じ。

ぴったり、しっくり。

台風で神楽が中止になったの
このためだったんじゃないかと
おもうほどに。

親知らずがなくなったスペースに
入ってきてくれたんじゃないかとも
おもうほどに。


あわあわ。
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(7月の泡と枠と木@ペルケ)