どうせ愛されてる、を
おっかなびっくりでも受け取れた件。
自分だいすきになってしまった件。

とはいえそのあと数日は
いやいや、もしかして夢かもよ?
ただの一過性のものかもよ?
エゴちゃんによる巧妙なまやかしかもよ?

なんつって、実はちょっとビクビク
半信半疑みたいに過ごしていたけれど、
どうも夢ではないっぽい。
まあ、もう夢でもなんでもいいけれど。

とりあえず、みえる現実に変化が。
いつもならここでこんな風に返ってきて
っていうパターン予想がことごとく外れ、
言われ慣れてる類の言葉たちも翻訳が
ぜんぜん変わっちゃってて、びびる。

基本ドSな番長が、やさしい。
なんかさりげなく守ってくれてる
(と感じる)。
マイトリックスターえみちゃんの言葉、
ある人にまつわる場合に限り
もれなく滲み出ていた(と感じていた)
悪意がごっっそり抜け落ちてる。


表現としては今までにも
言われたことある言葉ばっかりやけど、
変換がここまで変わるとは。。
てか、よくまあ、あんなにひねくれて
受け取ってたなあ…と。
なんだか恥ずかしー。あはは。
今が変わると過去が変わるって
なるほどーと思う。はー。
あのときも愛されてたのかー。


で、はてこれからどうしていこうかって
なんかちょっと手持ち無沙汰感の中、
昨年参加した秦由佳さんセミナーの
ワーク中に浮かんだイメージを
思い出した。
あのとき、あのイメージの中で
なんか寂しくなっちゃって
泣いたんだった。

帰る所もなくなって、
必要としてくれる人も
帰りを待っててくれてる人も
ひとりもいなくなっちゃって、
そもそもそういうの最初から全部幻で。
そうやって
動機がなにひとつなくなっちゃったら…
っていうのをイメージしてたら、
薄暗い朝もやの世界、
灰色の高層ビルみたいな建物の狭間に
ホタルの光みたいにちっちゃくて
白い光が、ぽつねん。
その光がわたしで、
まわりには誰ひとりいなくて、
鮮やかな色も、生きものの動きもなくて。
建物もただしんとたたずんでるだけで。
白い光のわたしは
どこに行ったらいいのかわからなくて
そこにじっとしたまま、怖くて寂しくて
途方に暮れて虚しくて絶望して。
けど、だからこそ
どこにでも行けるっていう。
何に執着していこうか?
っていう話かあ。

うーん。
なんとなくあとまわしにしてきたけども、
そろそろ自分の仕事について、
掘り下げたくなってきたかも。
そんなタイミングなのかもなあ。

ということで、
秦さんメルマガを今一度読み直して、
ええと、愛の拡げ方。。

わたしの愛の拡げ方は、なんですかー?

と、
問いを自分のこころに投げてみるの巻。
(๑′ᴗ‵๑)

iPhoneからの投稿