若い素顔(1959) | 日本映画ブログー日本映画と時代の大切な記憶のために

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日本映画をひとりの男が見続けます。映画はタイムマシンです。そういう観点も含め多様な映画を解説していきます。範疇は作られた日本映画全てです。

若い素顔
1959年 松竹
監督:大庭秀雄 主演:桑野みゆき、山本豊三、高峰三枝子、佐分利信

桑野、山本コンビで作られた作品。原作は石坂洋次郎「寒い朝」である。この原作の映画化は1962年の日活作品「赤い蕾と白い花」が有名であるが、こちらの方が先に撮られたもの。大した話ではないが、石坂原作は何度も映画化されるほど、客が呼べたということもあったのだろう。そして、この作品も「寒い朝」には全くあてはまらない、9月公開で、みな夏服の映画である。

桑野と山本は同級生。桑野は作文が得意で、皆の前で読まれたりしている。山本のことを書いた作文が読まれて、その中にあったセーターを返しに行くので山本が桑野の家を訪ねることに。桑野の家は洋裁をやっている母(高峰)との二人暮らしだった。山本は医者の父(佐分利)との二人暮らし。桑野も山本の家を訪ね、それぞれを好意的に思う。そして、佐分利と高峰もそれぞれに知りあうようになる。桑野が風邪をひき、佐分利が往診に行く。その時に母の夫だった人の母(東山千栄子)がきて、高峰が迎えに行くのを佐分利が車で送ることで、ふたりはちかづいていく。だが、桑野は高峰に再婚はしてほしくなかった。桑野の風邪もなおり、東山と公園をあるいていると、佐分利と高峰がデートをしていた。そんな二人を見守ってやれと東山は桑野に諭すのだった。そして、桑野も高峰の幸せを考えて、何もいわずにその日をすごす。次の日、桑野は山本に「結婚してもいい」というと、勘違いをする山本だった。

59年の桑野は前に書いた「ハイティーン」やつい最近書いた「妻の勲章」もそうだが、何か変なパーマであまりかわいくない。高校生役がぴったりで少し太り気味の女の子という感じである。綺麗な人だが、まだまだ、女になりきっていない感じなのだろう。そういう意味ではこの役にぴったりなのだろう。だが、山本とのコンビは今一つインパクトにかける。長続きしなかったのはそういうことなのだろう。

そして、石坂原作の映画というと、やはり現代的な感覚が古い要素の中で対峙して事件が起こっていく感じのものなので、日活や東宝の映画会社のカラーが似合う。松竹で撮ると、いわゆる石坂のリズム感にあっていない、ゆったりしたものになってしまうのは何故なのだろうか?大庭監督の作品への思い入れもあまり感じない。

そんなわけで、石坂原作の「せりふのおおらかさ」は原作とおりに使われているのだが、今一それがいきていないのだ。この作品で印象的な「私のおっぱい大人?」と桑野が佐分利に聴くところなど、今一つ思春期の青さに欠ける部分がある。そう、観客が思春期に戻るような感覚がないのだ。バックにながれる「ともしび」のメロディーもなにか不似合いであり、ふるめかしい大船調のリズムが抜け切れていない感じである。

高峰は、まだまだスラリとした美人である。佐分利との恋模様はなんら不思議もないし適役だろう。高峰は吉永版でも同じ役をやっている。(この際の相手役は金子信夫だ)。

ロケ地は東急沿線。高峰の家は自由が丘のようだ。そして、高峰の勤めるのは菊名で商店街がでてくる。どちらも、今とは全く違う田舎町に見える。50年代のおわり、東京近辺はまだまだのどかだったのだ。

のどかといえば、冒頭でよまれる作文でカンニングをしたと桑野がカミングアウトしているのだが、そのことに関しては教師は問題にしていない。石坂文学には、そういうおおらかさもある。さまざまな教育問題が問われる昨今だが、石坂文学にはその答えがいっぱい詰まっていると私は思っている。

映画自体は吉永版のほうが、時代も過ぎてテンションが高く印象的な感じだが、まあ比較してみるとおもしろい作品といえるだろう。


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