1954年 松竹
監督:大庭秀雄 主演:岸惠子、佐多啓二、川喜多雄二、大坂志郎、淡島千景
シリーズ最終章。結果的には、最後は病気で泣かせるという安易な終幕を迎える。まあ、人が死なないのは救いだが、なんだろうねこの話という感じである。愛が結ばれるにしても、そこで狂気に満ちて話を複雑にした川喜多やその母の市川春代が、あやまって住む問題ではないだろう。この話の全てが時間の無駄だったみたいな終幕なのだ。確かにリアルな世界では無駄な時間が多いかもしれないが、こんな偏屈な事象の為に、日本縦断するような大掛かりな話にしてという感じ。私的には金返せという部分が多い。まあ、メロドラマというのは、恋によって日常のバランスがいろいろくずれて、無駄な抗争の中で恋の成就までを描くものと言われればそうなのだが・・・。日本はいまだになかなかクールな恋愛劇が少ないのは、この話を好むようなDNAを引きずっているからだろう。
岸は東京に帰り、川喜多のだした「同居請求」に対抗して「離婚請求」を出した。岸には叔母(望月優子)と淡島らがついていたが、相手は少しもゆずらず、佐多も告訴するとおどす。二人の後見人の男(柳永二郎)のはからいで、しばらく九州に隔離される岸。川喜多には新しい女(紙京子)ができていた。市川は新しい生活が開けると思ったが、紙は同居する気がないといい、母子の間にも亀裂が入る。岸の元には川喜多から離婚してもいいという話が来る。ただし、佐多と結婚はしてくれるなというのだ。その話を聞いたホテルの客(大坂)が気にかけてくれた。自分と結婚するように川喜多にいってくれるというのだ。離婚したら、自由にしなさいと親切な言葉を投げてくれる。そんな中、市川が岸を訪ねてくるが病に倒れる。岸は寝ないで看病し、市川はあやまり戻ってくれないかというのだった。そんな時、佐多が訪ねてきて、欧州にいくのだと告げ去る。岸は市川の話を断り、過労で倒れてしまう。阿蘇で療養する岸のもとに大坂がきて、川喜多と話してきたといい、最後の説得にくるが、岸は「人をだましてまで幸せにはなれない」と大坂の好意をことわる。岸の病気は悪くなり、望月や佐多の姉(月丘夢路)らのはからいで東京の病院に入る。月丘は鳥羽に来た時に岸にいらぬことをいって、こんな事になってしまったとあやまる。そして、川喜多が離婚届を持ってやってくる。大坂から岸の言葉を聴きあやまりにきたのだった。岸の具合が悪くなり、淡島は佐多の上司にたのみ日本に帰れるようにしてもらう。医者は「患者の生きる力だけです」という中、岸は回復する。その時、佐多が日本に着く。病室の二人はただ、運命に翻弄された過去をはきだすように愛を誓う。それを見て、数寄屋橋で想いにふける淡島がいた。
最終章は、裁判所から始まる。強硬な意見をいう川喜多に岸は対応のしようがない。裁判所の方も、どちらかといえば男側についている。時代がそうさせているのだろう。まだまだ、女は男につくすものという概念から入るわけで、だからこそ、このドラマは成り立つ。
そして、そこからこの話は、収拾に向けて皆が一気に走りだす。とはいえ、川喜多の嫉妬とそれにともなう母親の嫁イビリがなかったらこんなに混乱した話にはならなかったのだ。たかが嫉妬話で日本全国を放浪する話にしたてるのは凄いとしか言いようがない。まあ、ラジオドラマはどこにでも土地をこえられたということだ。最後には佐多はヨーロッパにいってしまうわけで、もう少しふくらませれば世界を駆ける嫉妬話にも膨らませたわけだものね。
今回は九州ロケである。暖かい土地で大坂志郎のような暖かい人に会い、すべてが好天に向かい始めるというのはわかりやすい気はする。そう、今回は真知子巻きなど必要ないのだ。ということで、シリーズの中で岸が真知子巻きをしているのは2シーンだけ。つまり真知子巻きがはやったのは絶対にマスコミが仕組んだ技である。この時代から、マスコミなどろくなものではない・・。
舞台がグローバルな割には話が陳腐なのがまた今観るとなえる部分ではある。そして、川喜多の女が自分に合わないと思うや手のひら返しで岸にあやまりにいく母親の話などわらってしまうし、そこに丁重に優しく対応する岸にもどうも同化できない。結果的には、最後まで岸が幸せになった感じがないのだ。川喜多が大坂に話を聴いて離婚を決断するところもそうである。皆、それぞれの悲しみは収束するが、誰も成長していないような感じが、どうも私にはつらすぎる。そして、佐多もなにか煮え切らない男である。周囲の女が皆、彼をいい人だというが、そんなキャラではない気がするのだ。(こういうキャラは今、佐多の息子がよくやってる気がする)美男美女のさえない男女に皆が振り回されてる様相だということである。
ラスト、佐多と岸が病室で再開するのが私にはハッピーエンドにはみえない。実際、シェークスピア的な発想なら、つまり「ロミオとジュリエット」という感じなら、二人を殺して終わってもよかったのではないか?たぶん、それをやるとラジオのファンが大変な事になるとして、一応結び付けた感がみてとれる。そう、その向こうに大きな困難が待ち受けてる感じが観ていてつらすぎる。ということは、続編も考えた上の終幕とも考えられる・・。
ラストシーンは淡島千景がひとり数寄屋橋でものおもう。そして「忘却とは忘れ去ることなり」と自分の心にいいきかせるように吐くのは印象的。彼女も、何やってるんだという感じだろう。つまり、戦後の10年間くらいは必死に生きてはいるが、そんな心持の人が多く、共感を呼んだのかもしれない。淡島が観客に一番近いということで、このラストを書かせたのだろう。
そして書いておかなくてはいけないのは数寄屋橋の風景だ。今の銀座からこの数寄屋橋の風景は考えにくいが、こんな大きなお濠があったということの記録としてもこの映画は重要である。それが、この話のシンボルとしてあって成立することも忘れてはならない。そして、高度成長でそれを真っ先に消してしまったことが日本が今に至る出発点のひとつでもある。(そこには衛生管理的な部分もあったと聴くが、東京の街壊しはここが基点だと思われる)そんなことを考えながら、このつたない話を見るとまた違う視点が見えてくる・・・。
で、岸惠子は何の病気だったのか?私が見る限り「恋煩い」以外は考えられないのだが・・・。とにかく迷惑な女だと、最後は川喜多の母役の市川春代の気分になるのが本当のところである。
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