風前の灯
1957年 松竹
監督:木下惠介 主演:高峰秀子、佐田啓二、田村秋子、小林トシ子、南原伸二
昨日書いた「喜びも悲しみも幾歳月」と「楢山節考」の間に挟まれて公開された木下作品。こんなものも撮れるのだとばかりに、常連の役者を使ってのライトコメディ。よく考えれば、よくできたドリフターズのコントみたいで、ラストに家の周りで大騒動という図柄はそれと同じある。佐田啓二や高峰秀子はこんな役もできるんだと今さらながら感心する。こういう映画、私は嫌いではない。
高峰と佐田は夫婦で祖母(田村)と一緒に住んでいる。田村は金をためこんでいるらしい評判だが無類のケチ。そんな田村の金を狙って外には泥棒三人がかまえていた。佐田がでかけ、女子供になったら押し掛けて強盗しようとするこんたん。しかし、家は朝から大混乱。下宿人の娘(伊東弘子)がアイロンで畳をこがしケンカしてでていくことに。子供は熱を出す。田村は映画を悪態付いて観に行く。そんな中、仕事に行った佐田が帰ってくる。懸賞のカメラが当たったという。すると、妹(小林トシ子)がくる。新聞でそのことを知り、たかりにきたのだ。そして、もう一人の妹(有沢正子)が下宿人にどうかと男をつれてくる。そんな中、泥棒は入れなくなり大変!田村が帰ってきて、そして、甥の南原がくる。南原は金をちらつかせて何か不穏な雰囲気。そこに伊藤が戻ってきて今日はここに泊めてくれなどと言い、個々のいいたいことをいって大騒ぎ。そして南原は強盗で田村の金を奪おうと強行。しかし、田村はそんな財産を持っていない事がわかる。そこに警官が駆け付け捕りものが始まってしまう。外で控えていた泥棒はあてがはずれた。
大作主義の中で、こんなものをとったのは外の評価などへの回答なのかもしれない。木下惠介はどこからも責められる演出家だということがここではっきりとわかる。彼の映画はほぼ自分の脚本だから、そう考えると本当に職人なのだ。こういう小品も見事にまとめてみせる手腕はなかなかである。
そして、いじわるババアの田村が新聞で映画を捜している時に、自分の次回作の「楢山節考」の名前を言わせたり、若者たちが「喜びも悲しみも幾歳月」の主題歌を歌ったり、自分のことを宣伝する余裕はなかなかである。というか、会社はこういうのも許したのですね。
そして、前作で模範になるような夫婦愛を描いた佐田と高峰がいじわるババアに翻弄される、貧乏でうだつの上がらない役というのがこの映画の肝なのであろう。撮る方も撮る方なら、演じる方もなかなかである。役者のイメージとかじゃなく、作品が作られていった時代なのだろう。
だが、そんな二人も。この田村秋子のババア役には負けている。ある意味紋切型のいじわるババアだが、凄い存在感である。いかにもため込んでる風な演技も良いし、子供や嫁に文句をつける仕方も絶品である。最近は実際にこんなババアもいないし、演じられる人もいませんよね。そのくらい時代が優しくなったのかもしれません。というか、みんな老人ホ-ムにいくから存在することもないのか?といっても、ここでの彼女の歳は61歳。このころはこのくらいでお迎えがきたんですね。そう考えると、年金引き上げの意味合いがよくわかるというものか・・・。
そして、セリフの中に見られる生活臭がなかなかおもしろい。佐田の月給は7000円で、当ったカメラは5万円。卵が一個15円ときたもんである。卵とカメラの値段は変わらないのに、給与は数倍になった現代がいかにバランスがよくないかと思えるのは私だけだろうか?50年前と同じ値段でものを売って、数倍の給与を貰うとするのは無理な話だ。
全体的に、木下監督の愚痴のような感じで、さまざまな風刺が入っている。時代を考えながら見ると興味深い点が多い。
しかし、外に構える、泥棒三人組が、全然手を出せないのはおもしろみがない。それこそ、押し売りにでもなって家族と交わるようにしたらまた面白いとは思うのだが・・・。
まあ、70分の小品の中に、よくもさまざまなものを押し込めたという感じの映画だ。木下映画を見ていく中で見逃しがちだが、木下監督に興味のある方は、みなくてはいけない映画である。
ラスト、木造の古い新宿駅舎がでてくる。東口だとは思うが、あまりにも違う情景はちょっと貴重な画である。
- 風前の灯 [VHS]/高峰秀子
- ¥3,990
- Amazon.co.jp