黒の爆走(1964) | 日本映画ブログー日本映画と時代の大切な記憶のために

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日本映画をひとりの男が見続けます。映画はタイムマシンです。そういう観点も含め多様な映画を解説していきます。範疇は作られた日本映画全てです。

黒の爆走

1964年 大映

監督:富本壮吉 主演:田宮二郎、藤由紀子、藤巻潤、千波丈太郎、大辻伺郎


「黒のシリーズ」の残り5本を一気に書いていきます。まず、第10作のこの作品。いままでが産業スパイなど一般サラリーマンネタが多い中で、ここの主役は白バイ警官で、ひき逃げ犯を見つけるという、あまりひねりのない話だが、犯人役の千波丈太郎がなかなかの悪相で田宮との対決は見応えがある。バイクシーンも、特撮的な部分は少なく、実際の走りで見せている部分がほとんどなので、まあ買えるというところ。


田宮は白バイで三人のスピード違反を追っていた。そこで追いかけていたバイクが子供をひき逃げする。田宮は自分に非はなかったと思ったが、新聞は、白バイの深追いを責める。子供の命は助かったが歩けなくなるかもしれないという状態。田宮は犯人を捜し出そうとする。恋人の藤やその兄の藤巻は反対するが、田宮はバイククラブで怪しい男を捜す。そして、名古屋まで遠乗りしないかと誘われる。バイクは貸し出しで、ガソリン代もだすというのだ。田宮は目先をかえようと参加することにするが、当日、中止になる。その主催者(千波)と話をするうちに彼らを怪しく思うようになる。千波も田宮をためそうとバイクのゲームをけしかけ、田宮は負けるが認められる。しかし、仲間がまだ疑っていることを知り、警察にわざとつかまり信じさせる。そして、大阪への遠乗りに参加。そこでバイクが改造だったりすることに疑念を抱く。そんな中、千波に手錠がみつけられて田宮が警察なのがばれる。そして、バイクによる決着をつけることに・・。盗難バイクを売り払うための遠乗り、そしてひき逃げ犯も千波だった。事件が終わり、ひき逃げされた子供は歩けるようになり、田宮は普通の生活に戻るのだった。


当時の暴走族の話といっていいのだが、そういう呼び方はまだなかったようだ。カミナリ族という言葉も使われていないから、それほど社会問題的にとらえられた映画ではない。そして、いわゆるツーリングという言葉もなかったらしく「遠乗り」といっている。まだ、高速がない時代に国道を走ってバイクを運ぶ話だ。まあ、道が混んでいるわけではないから、こういう趣向の人は多かったのだろう。


そして、大井のオートレース場がでてくる。なかなかの観客でにぎわっている。こういう雰囲気がいやで美濃部都知事が廃止したオートレース場である。貴重なフィルムといっていいだろう。


話は単純で、田宮は正義感から自分でひき逃げ犯を追うわけで、その裏に変な葛藤はない(あえていえば、上司のいうことをきかないというところだろうが)。そういう点では、黒のシーリーズの中では、ストレートすぎる話である。途中で話が二転三転と言う事がないから、そういう点ではものたりない。


あえていえば、警察だとばれそうになったときに、田宮がスピード違反で捕まったり、アパートの大家(大辻伺郎)が名前を語った田宮を守ったりするところなのだろうが、あまりにもうまくいきすぎる。もう少し、田宮を窮地に追い込んでもいいのかもしれないと思った。


また、先輩である藤巻が、もう少し違った面から犯人を追うといった感じにすれば、話が複雑になっておもしろかったのかもしれない。全体的にひねりがないのが物足りない。


とはいえ、先にも書いたようにバイクの追っかけシーンはそれなりにおもしろいし、犯人の千波のふてぶてしさがこの映画をアクティブにさせている。やはり不良という感じの人が不良をやることは凄い大事なことだ。この千波が元オートレーサーという設定なのだが、それが示されるのは、田宮とスピンターンで勝負するところだけである。このあたりも、千波の凄さをもう少し観客にみせつけるようなら、もっと盛り上がるのだが、ちょっとものたりない。


そして、話の核になるバイクを売り買いする話の全貌をあまりはっきり説明しないまま映画が終わる。その仕事の話をする中条静夫などもおとがめなしと言う感じで、ちょっとしたたらずなのも残念な感じはした。


田宮が体制側にいるというのも珍しい感じがする。最後にスピード違反をみつけ飛び出そうとする田宮を戒める藤由紀子とのやりとりがほほえましかった。

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